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最後の別れ。
去年の2月〜6月、俺は LIVE活動を休止していた。
アピアのママさんと最後に 言葉を交わしたのは、その 2月のLIVEの時だった。
LIVEを休止するまでの2年間 俺は丸1日でも休みがあるかないかのコック服で、 エプロンにはこびり付いたトマトソースで 疲れてんのにも気付かない 悩んでんのにも気付かない店長で そんな環境にづるづると知らぬ間に 足を踏み込んでて、 アルバイトの子達が皆最高にいい奴で それだけが救いで、
LIVEの日は早番だけ出て、リハーサルには いつも遅れて、 『田村君やっと来たよう』 『すいませ〜ん、いつもいつも』
アピアのママさんに よく叱られてた俺も、 その頃になると、何も言われなくなり 裏を返せば、 仕事の忙しさに追われて、顔色悪くなって それがいい感じに、ステージで表現に出れば良いのだが 出る訳もなく、そんな奴のステージで LIVEだけは絶対休まない、と意地だけでやってる奴の そんな奴のステージで、何を言ってもどうにもならず あきらめられてたんだな。
『田村君もなかなかそこから抜けないね〜』
体がぼろぼろになり立てなくなり、 去年の2月、コック服を脱いだ。
これからの俺を見て欲しい そんな矢先の出来事だった。
20歳の時、アピアで唄い始めた。 バンドも組んでたが、アピアでのLIVE はバンドが上手く行けば行く程、 更に魅力を感じ、調子にも乗ったし 大失敗もしたし、勘違いもしたし 作る曲もある意味どんどん変わっていき 20歳から25歳までと言うのは 音楽、プライベート全て 俺にとってかけがいのない 暴走の、めちゃくちゃな とんがりの勘違いの、でもそのまま行けるなら それが何より良いの最高の時期であり
俺の完全なる思い込みを言うなれば 当時そんな俺は、ママさんに可愛がられてた。 当然よく叱られたし、ぐさりと来る 言葉を言われたし、 音楽だけじゃない、表現の視点で 奥深く言う、わかってる人だった。
でも、それからの2年間、俺はママさんの言う 『なかなか、そこから抜けないね』の奴になった。
去年27歳、2月から4ヶ月。 始めてLIVEを休んだ。復活を誓い・・・・・。 だが去年の6月、もうママさんは 入退院を繰り返す日々でアピアには 来ていなかった。
去年の2月から一度も会っていなかった。
そして今日、久しぶりに ママさんに可愛がられた人たち、 期待を込められてた人たち よく叱られた人たち、 暖かく見守られた人たちが、 ママさんと久しぶりに再会した。 ・・・・・・・・・・・ 悲しくない訳がないのだ。 悲しくてたまらないのだ。 ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 唄で恩返しする。 これからの俺、すげ〜よママさん。 あの2年間、無駄じゃなかった事 全て唄で恩返しするから 耳を済ましてて下さい。
そこから抜けたらきっと届きますよね。
今まで本当にありがとうございました。
俺、頑張るよ!!
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