ほり日和  
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2004年12月15日(水) 幸せの証がここにある

一昨日、あんな読み手によっては

意味深に見える日記を書いたせいか、今日いろんな人に

ツッコミやら、心配やら、励ましのメールや

直接励ましの言葉をもらってしまった。。。

こう書くと語弊があるかもしれないが、

そんなわざわざみんなに励ましてもらいたいがために

あのような日記を書いたわけじゃない。

言い方を変えると、つまりは「心配かけてすまない」

と言う、申し訳ない気持ちで一杯なわけです。

嬉しい反面、その心遣い・気配りが本当に悪いなぁって…

一歩引いてしまうような感じ。

その時の気分で日記を書くとみんな心配してしまう!

僕は少し反省しました(笑)。

でも、自分がどれほど周りに支えられて生きているか、

自分がどれほど愛されているのか、改めて思い知りました。

万感の想いです。

口にすると、口幅ったくて価値が薄れてしまうので僕は滅多に

言葉にはしませんが、僕にとって友達とか親友とかの存在は

何物にも変え難い「宝物」であり「財産」です。

もちろん世の中、誰氏にでも好かれたい・そういう存在で

ありたいと言うのは、目指すべき理想ではありますが

当然、人それぞれで生理的に合うとか合わないなど

十人十色で、僕のことを快く思わない人もいます。

だからと言って、卑屈になっているわけではなく

あのよな日記を書いても「何言ってんだ、コイツ?」と

思われても、それは致し方ないこと。

無論僕にだって、「合う合わない」「嫌い」という存在が

いるので、多くを求めてるわけではないです。

しかし、あの日記で僕のことを心配してわざわざメールや

励ましの言葉などをくれた大切な人たちの言葉で

僕はとても支えられていることを再認識できたわけです。

「一人じゃない」

誰かに甘えたいから、とか、頼りにしたいという

自分に対する「甘え」から求めたわけではないのに、

たくさんの言葉をくれたみんなにありがとう!!

僕が幸せだと感じるもののすべてに今日、たくさん出会えました。

あの日記は「現実逃避したい」という気持ちが生んだ

半分冗談の日記でしたが(笑)、こんなに反響あるとは思ってませんでした。

その点については、ホンマすみません!です。反省反省…。

「幸せ」っていうのは、僕の見解ですが、「断続的」という

印象があります。実際僕はそうです。

でも断続的だからこそ、「幸せ」って言うものは感じられるものに

変わるんじゃないでしょうか。

確認したかったわけじゃ決してない、それでも

僕に「幸せの証」を示してくれた人たちの、

僕を支えてくれる人たちの色々な期待に応えられる、

そういう「人間」になれるよう日々精進したいです。

それこそ今度は、自分が「幸せ」を提供できるような存在に。




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おやすみなさい。


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