ほり日和 もくじ|昨日|明日
せっかくなので、今日は「七夕」について語ろうか。 去年のこの日は、日記書いてないしね。 七夕といやぁ、真っ先に思い出すのが、親友の誕生日。 毎年この日になると、保育園から中学まで一緒だった 「アイツ」のことを思い出す。まったく覚えやすい誕生日だ。 そして、その保育園時代にやった「七夕の日のお遊戯」。 歌に合わせて踊るんだが、この時流れていた歌を 俺は今でも覚えている。メロディも歌詞も。以下サビの歌詞。 ♪パレード、パレード、素敵なパレード パレード、パレード、素敵な素敵なパレード この後、間奏で全員スキップをする(笑)。 我ながらよくこんな事を憶えているもんだ。20年前でっせ。 よっぽどこのお遊戯が好きだったに違いない。 それと…… 去年3月、東京の本多劇場で、いまだ記憶の新しい「剣劇団憶流四十六派」の 公演「仮面ニンジャー」。 この芝居には総勢46名+発砲からのゲストという多種多様な 登場人物が存在する。その中で僕が演じた「偽仮面ニンジャー」。 偽仮面ニンジャーは主人公・猛人のライバル的存在・疾風も含め 総勢9人いる。インスパイアされたのは「サイボーグ009」。 実は台本上では、疾風を除いた他の8名の偽仮面ニンジャーには役名がない。 偽仮面ニンジャー其の壱・弐・参…と番号が振り分けられてるのみだった。 しかし、劇中唯一名乗りを上げるシーンができてその時の名前を、 「漢数字を含めた名前」を自分で決めるように言われてた。 例えば、其の壱は「はじめ」、其の弐は「裕二郎」。 で、僕が演じたのが「其の七」で名前を考えなきゃならなかったが、 「七」がつくと「七緒」とか、女性的な名前しか思い浮かばず、 困ったときに「七夕」を思い出して、俺の役名は「七夕」になった。 ちなみに名乗るそのシーンは、劇中のクライマックスで、 登場人物全員が怒涛のように現れ、次々に名乗りをあげていくので、 注意深く聞いてないと、まったくわからん。 パンフやオープニングのキャストロールには「七夕」の名では 載ってないなので、どちらかといえば印象に残りにくい。 ……つ〜か、残らんな。 これが俺の七夕の思い出。思い出話かよッ!? さて、次に俺的な七夕の見解を言っていいですか? ダメですか?話してみましょうよ。 やめますか? みましょうね。 七夕は天の川に隔たれた、織姫と彦星の悲恋の物語。 1年で1度だけ、今日この七夕に会うことができる。 これだけですね。 そこでだ。 なぜ短冊にガンかけて願い事するのか?? これが俺にはわからん。 や、ロマンチックだとかそういう話であること自体には、 俺はいいと思うんですよ。実際子供のころに俺自身もやってますしね。 今でも、一つの日本的な風流とか、夏のこの時期になると各地で 大型の笹の木掲げて、短冊用意して、道行く人に願い事書いてもらって、 雰囲気を醸し出す。これはいいんですよ。見た目にもいいじゃないですか。 なんとなく。願い事掛けること自体が、なんかセンチメンタルで 人間的だし。 俺が言いたいのは、なんで「七夕が願い事を掛けるいきさつになったか?」 ですよ。それは要するに「バレンタインがチョコあげる日」とか、 「キリストの単なる誕生日が、サンタに貢いでもらう日」というような ことと同じです。 そもそもね、こんなこと言ったら身も蓋もないですけど、 要するに「1年に1度しか会えない彦星と織姫に対し、願い事言う」 ってことですよね?「1年に1度しか会えない2人」が 他人の願い事なんか、いちいち聞いちゃいられないと思うんですよ、僕は。 二人は深く愛し合っているのに、お互い体にも触れられないと。 1年ぶりに会ったら、ヤリヤリですよ!健全な男と女でしょ!? 他人の願い事なんか知ったこっちゃない訳ですよ。聞いてる暇もありません。 ちょっと俺、ロマンチストの欠片もないこと言ってますけど、 少し下ネタも入って、暴走気味ですけど、 どうよ??この意見。……自分でいうのもなんだけど、 結構地雷踏んでる??(笑) まぁ、俺はそう思うだけさ。笹に短冊かけて願い事するという行為自体は 面白い文化の一つだとも思うしね。日本だけでしょコレ?? えっ?違うの? まぁ何はともあれ、七夕。せっかく晴れても都会じゃ 天の川どころか、星一つ見るのにも苦労します。 皆さんは何を願いましたか?俺は『健康と健やかな毎日』です。 言うだけ言っといて、ちゃっかり願い事してます。 ………。 …なんだか「花王」のキャッチフレーズみたいだな。
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