ほり日和  
もくじ昨日明日


2002年07月26日(金) 命。

今日、俺の周りで一つの命がその短い生涯を終えた。
正確には昨日の晩のこと。自ら命を絶った。
そいつは俺とは直接関係もない。近いようで
遠い存在だけど、何度か会った事があるし、
いい奴であった。

別にカミングアウトする事ではないが、俺も
中学時代に一度だけ、この世の全てが嫌になり、
死んでしまいたいと思ったことがある。
でも、俺はその時はある人の歌に救われた。
また、それは追々この日記で話す時も来るだろう。

今は「生きている事」が楽しい。逆を言えば、
「生きているから」楽しいのだ。
人間は生まれながらにして、感情という才能を持って
産まれてくる。そしてそれを分かりやすく表現することも。
悲しいことも、喜びを感じることも、怒ること、
幸せだと感じる能力はすべて、「生きている」から
感じられることなのだ。

そいつはまだ20歳だった。この世に生まれ出でて20年で
自ら命を絶った。確かに情緒不安定な頃を見たこともあったが
彼をそこまで追い詰めたものが何なのかは分からない。
しかし、かつて自分もそうだったから言わせてもらうが、
俺は自ら命を絶つことを英断だとは決して思わない。
むしろ、「何故?」という疑問に近い怒りも覚える。
人は一人で生きている訳ではない。
残された者の悲しみは一生消えない。
彼の心に重く圧し掛かったものは、他人の俺からすれば
確かに計り知れないものかもしれないが、
人は、生まれながらに様々な才能を持ち合わせて来ると同時に
『業』をも持ってくる。しかしそれは罪ではない。
生きているからにはこれと向き合っていかなければならない。

俺の両親は「絶対に俺たちより先に死んではいけない。それは
人生最大の親不孝だ」と常に言っている。
俺もそう思っている。親から受け継いだ命は、たった一つしか
ないし、その器も一つだけなのだ。
人が感じる「喜怒哀楽」や「幸せ」というのは1秒1秒刹那的に
そして断片的なものだと、俺は思っている。
ならば、それが例え断片的でも、一時でも長く継続させて行くことが
人生だと思う。だから命は何物にも変えがたく、貴重なのだ。

花はその短い生涯を精一杯花開くことで生きている。だから美しい。
昆虫は人生をかけた恋愛をし、種族保持をすることで短い生涯を
終える。人には人の生き方を全うすることが本文だ。

彼の冥福を祈ると共に、俺は生きることの難しさと
辛くても生き抜くことで幸せと感じられるよう頑張ることを
誓った。


ほりさとし |MAILHomePage

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