ほり日和  
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2002年05月04日(土) 春岡小学校。

今日、仕事の帰り(例のバイト、今日はカレーパンマンだった)
に自分が卒業した小学校の前の道を通った。在学当時は運動
場が学校敷地の周りを壁が囲んでいて見えなかったのだが、
数年前から壁が取り外され、代わりにネットが張られている
ので運動場は丸見え。久し振りに母校を垣間見れた。

そしたら今日、驚くべき事実を知ってしまった!

僕の母校、春岡小学校は自分が在学中に創立60年を迎えた。
開校当時「尋常小学校」の時代から、我が学校にはひとつの
シンボルがあった。

それは巨大な楠の木。

運動場のほぼ真ん中に位置し、10mはあろう楠の木と、も
う一本少し小ぶりな楠の木があった。確か校歌でもこれに触
れていたし、6年生のときに作ったクラス歌(当時はクラス
毎に旗と歌を作らなければならなかった)にも「♪楠の木の
ようにたくましく〜」と言う詞を入れていた。それぐらい
「春岡小と言えば楠の木」と勝手にだが自負していた。少な
くとも春岡学区内では有名だった。

ところが今日見たら楠の木の陰も形も無い!運動場がムチャ
クチャ広い!無駄に広い!2本もあったのに一本も見当たら
ない!!

確かに巨大な楠の木の方が無いのは知っていた。8年位前に
落雷に遭い、その後、病気になって切られてしまったのだ。
あの時は友人と嘆いたものだ。しかし、切り株と根っこは多
少残っていた。もう一本は無事だったはずだ。なぜに見る影
も無いのか!?

最初に言ったようにあの楠の木は我が校のシンボルである。
シンボル、つまり象徴なのだ。病気になって切られてしまっ
たのは仕方ない。もう一本に伝染るからだ。でも切り株とか
残ってた。最近、僕のこの母校は拡張工事を行った。校長も
代われば新規事業もあるだろう。誰も「楠の木塚にしよう」
とかアイデアを出したり、意見を言わなかったんだろうか?

無くなってしまったのは悲しいが
過去に囚われるのも愚かな事だ

こんな事を言っていっそ運動場拡大計画でも実行したのか?
僕から言わせりゃ、そっちの方が愚かだ。

伝統は受け継がれて行くもの。
シンボルは永い時を隔て残るもの。

1970年の大阪万博に作られた「太陽の塔」は万博終了後
に壊されただろうか?今もある。なぜなら「シンボル」だか
らだ。

今在学中の児童たちや今後入学していく子供たちは自らシン
ボルを亡くしたあの学校で何を学んでいくのだろう?


ほりさとし |MAILHomePage

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