ほり日和
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今日、仕事の帰り(例のバイト、今日はカレーパンマンだった) に自分が卒業した小学校の前の道を通った。在学当時は運動 場が学校敷地の周りを壁が囲んでいて見えなかったのだが、 数年前から壁が取り外され、代わりにネットが張られている ので運動場は丸見え。久し振りに母校を垣間見れた。
そしたら今日、驚くべき事実を知ってしまった!
僕の母校、春岡小学校は自分が在学中に創立60年を迎えた。 開校当時「尋常小学校」の時代から、我が学校にはひとつの シンボルがあった。
それは巨大な楠の木。
運動場のほぼ真ん中に位置し、10mはあろう楠の木と、も う一本少し小ぶりな楠の木があった。確か校歌でもこれに触 れていたし、6年生のときに作ったクラス歌(当時はクラス 毎に旗と歌を作らなければならなかった)にも「♪楠の木の ようにたくましく〜」と言う詞を入れていた。それぐらい 「春岡小と言えば楠の木」と勝手にだが自負していた。少な くとも春岡学区内では有名だった。
ところが今日見たら楠の木の陰も形も無い!運動場がムチャ クチャ広い!無駄に広い!2本もあったのに一本も見当たら ない!!
確かに巨大な楠の木の方が無いのは知っていた。8年位前に 落雷に遭い、その後、病気になって切られてしまったのだ。 あの時は友人と嘆いたものだ。しかし、切り株と根っこは多 少残っていた。もう一本は無事だったはずだ。なぜに見る影 も無いのか!?
最初に言ったようにあの楠の木は我が校のシンボルである。 シンボル、つまり象徴なのだ。病気になって切られてしまっ たのは仕方ない。もう一本に伝染るからだ。でも切り株とか 残ってた。最近、僕のこの母校は拡張工事を行った。校長も 代われば新規事業もあるだろう。誰も「楠の木塚にしよう」 とかアイデアを出したり、意見を言わなかったんだろうか?
無くなってしまったのは悲しいが 過去に囚われるのも愚かな事だ
こんな事を言っていっそ運動場拡大計画でも実行したのか? 僕から言わせりゃ、そっちの方が愚かだ。
伝統は受け継がれて行くもの。 シンボルは永い時を隔て残るもの。
1970年の大阪万博に作られた「太陽の塔」は万博終了後 に壊されただろうか?今もある。なぜなら「シンボル」だか らだ。
今在学中の児童たちや今後入学していく子供たちは自らシン ボルを亡くしたあの学校で何を学んでいくのだろう?
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