ヤラせていただく - 2007年11月05日(月) ここ最近、気になっていたこと、 そして悩んでいたことを正直に書かせていただきます。 数年前から、この業界で仕事をやることに何の意味があるのか? と自分に問い続けてきた。 だが、問うているヒマはない、とやっと確信しましたよ。 昨日、入稿後の朝方、近所のメシ屋である人物と出会った。 彼は学生で頭でっかちで議論好きの方だった。 それはいい。個人の趣向なので否定はしない。 しかし彼の口からこんな言葉が出てきたとき、思わず感情的になってしまった。 「今の雑誌とフリーペーパーに何の差があるのか? R25などで知られるリクルートは自社で広告・言論を管理する体制がある。 一方、雑誌は代理店から広告の差し替えなどでてんやわんやし、 さらに広告主を気にして書きたいことも書けない。 これでは雑誌もフリペも同じじゃないか? そもそもインターネットの登場以降、 雑誌や新聞はメディアとしての意味を喪失しているのではないか?」 ああ、ハッキリ言ってその通りだよ。 広告主による言論誘導なんてのは、もはや日常茶飯事。 雑誌はただの広告でしかない。 その広告的な発想ゆえか、読者の知的レベルに合わせて、 表現(=言いたいこと)を簡略化していく傾向は強まっているし、 おまけに作り手側の「ページが埋まればそれでよし」という感覚は深まっているような気がする。 そんなものを垂れ流してたら読者にナメられるのは当然だ。 しかし、雑誌にある種の夢を持ち続けている人間として、 今その現場で働く人間として、ナメられるのはムカつく。 感情論と言われようが、大人気ないと言われようが、 ムカついてしまったものは仕方がない。 というわけで宣言です。 今後、納得が行くまで原稿を書かせていただきます。 たとえ“取って出し”の仕事を受けたとしても、 絶対に“取って出し”の文章なんか出さねえ。 喰う時間、寝る時間、全部削ってやる。 悔しいんですよ、オレは。 ここ数日の話の流れが一気につながったね。 そういった意味では、例の学生さんとの出会いは有意義だった。 ...
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