考えるヒントは見た目が9割 - 2006年06月20日(火) 数ヶ月前、小林秀雄氏の名著『考えるヒント』を初めて読んだ。 正直、困った。 哲学的かつ思惟に富んだ言葉・エピソードが羅列されていており、 文節の問題なのか構成の問題なのかは理解及ばずなのだが、 とにかく内容が解りにくかった。 何を言いたいのかが、ぼんやりとしか掴めないのである。 確かに私はIQがそれほど高くもないし、 まして人に自慢できるほどの知識も持ち合わせていないが、 国語・現文の読解能力だけは発達しており、 高校時代、読解テストで100点を取るのに飽きてしまい、 わざと0点を出して教師に酷く叱られた経験があるほどだ。 (彼らのマニュアルの中に、正解を外すという壮大な実験意図、 努力に対する対応策はなかったようだ) そんな私でさえ、『考えるヒント』は判読不能な代物だったのである。 もしかしたら私は大馬鹿なのではないか、と肩を落とした。 そんな折り、『人は見た目が9割』という書籍を読んだところ、 『考えるヒント』に関して同様の感想が述べられていた。 この本によると、日本は仕草や表情によって、 相手の気持ちを汲み取る文化が発達しており、 言葉によるコミュニケーションはむしろ下位の概念に属する。 故に日本人にとっての文章とは、難解であっても何ら問題はない。 なぜなら読者が作者の気持ちを察することが出来るからだ、と。 いわば『考えるヒント』は『見た目が9割』で、 あの文体だからこそ名著なのではあるまいか、というのである。 全くを以て同感である。 今回の日記が極めて真面目な文体で書かれているのは、 そういった認識論に刺激されたからだ。 スタイルによって彼(もしくは彼女)の人格や人柄が 規定されるとするならば、身だしなみを整えたほうが得をする。 近年、メール絵文字の発達によって日本語表現が急速に変貌しつつあるが、 そんな環境下だからこそ、この文体で語る必要性を肌で感じる。 さて、ここまで読んで皆さんはどんな感想を持っただろう。 私は頭のいい話は一切していない。 新しい視点も視座も何もない。 ただ糞真面目な文体で漢字を多用しながら、 他人様の考えを拝借しつつ、 「真面目な文体だと頭良さげに見えるよねー」 という身も蓋もないことを言っているだけであって、 それはホストの口説き文句くらい空虚だ。 しかしながら『見た目が9割』であることには変わりない。 いやはや、文章って怖いぜ! ...
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