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敗者の都・仙台を行く - 2003年03月08日(土)

行ってきましたよ、仙台。
まあ、取材せねばならんこともあったんで、
完璧なバケーションって感じじゃなかったんだけど、
楽しかったッス。
歩きすぎて足、いまだに痛いッス。

しかし仙台や東北に住んでいる人には申し訳ないけど、
本当、仙台は敗者の都でした。

2日目の午前中、伊達政宗の銅像見に行ったのね。
仙台の町を見下ろす正宗、ガンダムみたいで、
すげえかっこよかったよ。
で、銅像の横に昭忠塔ってのがあって、
これが、西南戦争や日清戦争などで戦争に借り出された、
東北の人たちの慰霊碑だったの。
その戦争で、東北の人々が借り出されてたなんて、
全然しらなかったですよ。
で、ちょっとナーバスになりながら、
隣の神社でも見てみるかと思いきや、
鳥居前の看板にこんなことが書いてあるわけ。
「正宗の銅像見る前に、神社でお参りしてください」
で、正宗のお守りとかも、なぜか神社で売ってるの。
あのー、神社って神道でしょ? 正宗と何も関係ないじゃん。
そういうのって正宗の子孫とか旧仙台藩の人が、
やる権利あるんじゃないの!?
井沢さんの「逆説の日本史」に出てくる、
「大和朝廷は征服民の土地に必ず神社を建てる」
って話をフッと思い出したりしながら、
青葉城資料館へ。

ここは正宗の功績と城の資料が集まってるところなんだけど、
ビックリしましたよ。城がないんです。
(残ってるのは石垣だけ)
明治維新の時に徹底的に壊されて、
残った部分も第二次世界大戦で全部、焼けちゃったんだって。
だから資料をもとにCGで再現したり、涙ぐましい努力してるのね。
しかもこの資料館で新たな事実が…。
豊臣秀吉が天下だった時代、朝鮮に戦争しかけてるんだけど、
その時、正宗に「オマエの兵隊貸せよ」と言ったらしいんだわ。
実際に正宗が兵を出したかまでは書いてなかったけど、
もし出してたとしたら…。
西南戦争や日清戦争の話をダブッて、またヘコみました。
権力者ってのは、何かっていうと東北の人を使いたがるんだね。

なーんて考えながら、山道をテクテク歩いて仙台博物館へ。
もちろん、ここも敗者の歴史だらけでした。
最近の歴史論でよく言われることだけど、
かつて日本列島には大和朝廷を中心とした西日本と、
蝦夷と呼ばれた東日本の2つの国があって、
東日本が大和朝廷のものになるのは、
大化の改新以降、大和朝廷が東北に攻め入ってから。
(厳密に言えば、鎌倉幕府以降か?)
当然、大和朝廷VS蝦夷の大戦争が起こって、
アテルイっていう王様らしき人とその一族が、
すごい抵抗をした、という話も歴史書の中には出てくるんです。
ところがこの博物館には、そんなことはまったく出てこない。
誤解を恐れず簡単に言っちゃうと、
そもそも仙台の人々は蛮族だったけど、
大和朝廷の支配が及んでから文化的になりました、
みたいな感じでまとまってるわけ。
博物館だから、おそらく文部省の管轄なんだろうけど、
なにか悪意みたいなものを感じますね。
さっきの正宗の横の神社と同様の悪意を。

今思い出したんだけど、
実はオレのご先祖さんも大和朝廷に、
征服されちゃった土地の人らしいんですよ。
オレの本名の姓は、大阪の千早赤坂村ってところに多いらしく、
この土地がルーツじゃないかっていわれてるんです。
千早赤坂村っていうと南北朝時代の武将・楠正成の出身地で有名だけど、
さらに時代を遡ると、この土地は葛城山を中心とした、
独自の神様を信仰していた土地だったらしいんです。
ところが、大和王権や朝鮮から来た王族が征服しちゃったんですね。
その後は渡来人ではないかと言われる葛城氏や蘇我氏の拠点になったりして、
もう蹂躙されまくりなわけですよ。

だから、仙台のこういう光景を見ると、
すごくせつなくなるというか…。

アメリカだと、ネイティブ・アメリカンみたいな人々がいたり、
実はその前にモンゴロイドが住んでた!なんて話もあったりして、
そういうことを言うのが許される環境があっていいなぁ、
と思うんですが(さすが他民族国家!)、
日本の場合はそういうことが許されないみたいです。
というか、うまーく統制されているような気がしてなりません。

あ、誤解なきように言っておきますが、
オイラは狂ったエコロジー主義者=ヒッピーや、
左翼主義者じゃありません。
縄文サイコー!とも思いません。
すべてはこの一言で片付きます。
「ルーツを知って何が悪い?」
実はリパックなんていうのも、
そのひとつだったりします。

以上、乱文にて失礼!





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