江原さんの本を読んだり、テレビ番組の "オーラの泉" を見たりするにつれ 「私はなんで今の両親のもとに生まれてきたんだろう?」 とか 「我が子たちって、どうして私たち夫婦を親に選んだんだろう?」 などといったことを思いめぐらすようになってきた私であります。 自分の前世と今との関係にも興味が沸いてきましたし、私の魂はまだ目的を達成していないのではないかなぁ〜? と思ってみたり...
で、思い出したのが新婚して暫く経った頃のことです。 子供は大好きでしたし、出来れば20代に一人目を出産したいと願っていた私に "ある方" が 「氏神様にお願いすると良いよ」 とご助言くださったのですよ。 "苦しいときの神頼み" は得意分野でしたから、さっそく当時住んでいたアパートから然程遠くない距離にあった "北野天神社" に、小銭をジャラジャラ携えてお参りに出かけたのでした。 本堂をお参りしてからフト見ると、裏手にも小さな祠が幾つも並んでいましたので お賽銭 を入れてはお願いして歩いたのでしたが、その中の一つに 水天宮 と書かれた提灯を見かけたのです。 偶然にしては出来過ぎのような気がしてビックリしたのを、今でもハッキリと覚えているのですが、驚きは更に出産後も続いたのでした。
それは私の入院中に主人が決めた赤ちゃんの名前についてだったのですけど、「たまの様に丸々とした元気な五体満足な赤ちゃんが授かりますように!」 とお願いして歩いた あの日 を思い起こさせるかのように "MARI" と名づけられていたことでした。 半紙に漢字で書いた時に裏側から見ても "ソレ" と判るような左右対称の字が良いという彼なりな拘りと、海外でも違和感なく呼んでもらえそうな "音" が決め手だったらしいのですが、私の頭の中では 「たまの様に丸々とした → 毬 → MARI」 って気がしてならなかったのです。 そんなのコジツケじゃない? と言われればそれまでみたいな話ですけど、私には何か特別なもののような気がしましたっけ。
そんなこともあって 「我が家がカナダに駐在することになったのって "娘の為に" だったのかもしれないなぁ〜」 と考えるようになりました。 本当にそうだったのか、はたまた母の考え過ぎなのかは結論がでるわけもなく、江原さんのような方に伺わない限りは "神のみぞ知る!" なのでしょうけどネ♪(^^)
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