私が通った大学は、小さい地方大学ながら、文系に関して総合大学だった。 教育学部国語学科に在籍していたが、教授陣もカラフルで、漢文学、言語学、国文学(近世)国文学(中世)国文学(現代)教育学、書道と、一通りのジャンルで専門を分け合っていた。 他にも興味のおもむくままに英文学、ヘブライズム(聖書)、憲法、哲学と、単位で遊ぶことができた。 もちろん必須のつまらないものが隙間を埋め、私はほとんど出席しない不良学生だったのだが。
最近岡野玲子のコミック『陰陽師』を彼女から借りて読んでいて、おもしろい。ほんとにおもしろい。 陰陽道は古く中国から伝わったものが起源である。 大学の漢文学の授業で習ったことが端々で思い出される。中国の最初期の文学は、ほとんどがオカルトである。わざわざ文字を残すなんてことをするのは国を司る立場のものだけで、しかも政治イコール祭祀だったのだ。帝は天の子であり、天のおうかがいですべてが決まる。なにしろ文字(象形文字)がうまれたきっかけも、亀の甲羅に焼けた火箸をつきたてて占いを行ったその形を記録するところから始まっている。
古代中国の二大文学『詩経』『楚辞』のうち『楚辞』を主に勉強した。それを教授が読み解いていくのだが、あくまでも教授の持論であり、一般の通説とはことなる解釈だ。それが面白い。 教科書を学ぶのではなく、教科書をつくる仕事。教科書を相対化する視点をもたせる作業だった。 もちろん教授の持論が完全に正解かどうかは分からない。 だが、それを正解と思わせる論拠を積み重ねるのが論文を書くという仕事だし、それこそが教授のメインの仕事である。授業とはその成果をこぼしてみせて適当にレポートを書かせる二次的な仕事だ。 卒論指導なんてまさに雑用だろう。
大学は、楽しかった。もっと勉強しとけばよかったと、もったいない気持ちもあるが、まず、完全燃焼した学生時代だったと言える。留年したが。恋をして酒を飲み麻雀にはまり、授業をさぼって寝ていた。 幸せだった。
ちなみに私は現在でも、京都御所のどっかに陰陽家が控えていて、子産みのまじないなんかやってるんじゃないかと夢想している。
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