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2003年02月24日(月) 友達の必要性。

少し前に友達と話していて思ったこと。
書き留めておきたくなったので書いておきます。



Q.友達は必要か?




私の昔の(って言っても小学校〜中学校くらい)の考えは、


別に。
(いてもいなくても変わらない)



でした。




なぜそう思っていたのか分からないけど、
一番は人を信用できなかったからかもしれない。



なぜか。
私が思いつくのは親への不信。
それか、小さなことだけど友達からの裏切り。



そういうことを重く受け止めすぎて、
信用するのを避けてたのだろうか。





親への不信、原因はよく分からないけど、今まで覚えているのは、
小さい時、幼稚園に入る前くらいのこと。

私が何かで怒られて、
親に怒られて泣いても泣いても許してくれず、
お尻を父に叩かれてた記憶、
今でも忘れてない。

謝ったのに、謝ったのに、
叩かれて叩かれてすごく痛くて、
「なんで?」
って何回も思ってた。



これで親が信用できなくなった訳じゃないと思うけど、
こういうことが積み重なっていったのかもしれない。

また、別のとこに理由があるのかもしれないし、
理由なんてなかったのかもしれない。


でも、小さい事だけどなんか忘れられない。





親へは今でもどこかで絶対の信用はできていない。
無意識だからどうにもできない。
信用したいとは思ってもできないものはしょうがない。
そんな感じ。
でも、嫌いだとは思わない。
感謝も恩も感じる。
恩返しは絶対しないといけないとも思う。








そんなこともあって、

その頃の友達付き合いを思い出してみると、
本当に希薄なものでした。



学校での友達付き合いは、
「学校だけ一緒にいる友達」
だったし、私にとってそれ以上深く付き合う理由も無かった。


ただ、一人でいるのは嫌だし、いじめられても嫌だ。
みたいな感覚で一緒にいる友達が多かった。


だから学校外でも遊ぶ友達は数少なかった。
遊んだとしても、
自分から誘って遊ぶなんてほぼゼロだった。





その考えが変わったのは多分、
中学三年の終わり頃からだと思う。

きっかけは同級生の友達でした。

私は、それまではその子のことを、
普通の友達より少し仲が良い友達、と思っていました。

学校で一日中二人でいることもありましたから、
彼女は私のことを一日いても良い友達だと思ってくれてる、
ちゃんと友達としてみてくれてて嬉しいなぁ、
という想いでしかみていませんでした。


彼女は私にすごく優しく接してくれた。
普通の友達以上に、私を一番の友達として接してくれました。


今思っても分からないけど、
なぜ私を一番にしてくれたのか、
すごく謎だけど、嬉しい限り。
友達としてはダメダメだったと思う。




昔を思い出しても、
私は基本的に「〜したい」と思って動いてなかった。
だから、友達のところへ動くのもめんどくさい時もあった。

接しても表面上の付き合いしかできないし、
めんどくさいだけ。
そう思ってるから余計に、「別に友達付き合いなんて」と思ってた。



でも、彼女は違った。
私が、一人でいたらすぐ来てくれて、
彼女と友達になってからは寂しさは感じなくなった。
彼女は100%を私に見せてくれた。
だから私も自然に自分を出していけた。



その子のことを親友とまで呼べるようになったから、
私は、友達の素晴らしさを知る事ができたし、
私自身、強くなることができた。


人を信用することも教えてもらった。
絶対の信用を誰かにしていないと、
どこかで自分に自信がもてないと思う。


私は彼女がいなかったら昔のまま成長していない。
もっともっと心は冷たい人間だったように思う。

ある意味で、私を生き返らせてくれた命の恩人かもしれない。



***


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読破書庫。 '05/11/15更新。



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