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少し前に友達と話していて思ったこと。 書き留めておきたくなったので書いておきます。
Q.友達は必要か?
私の昔の(って言っても小学校〜中学校くらい)の考えは、
別に。(いてもいなくても変わらない)
でした。
なぜそう思っていたのか分からないけど、 一番は人を信用できなかったからかもしれない。
なぜか。 私が思いつくのは親への不信。 それか、小さなことだけど友達からの裏切り。
そういうことを重く受け止めすぎて、 信用するのを避けてたのだろうか。
親への不信、原因はよく分からないけど、今まで覚えているのは、 小さい時、幼稚園に入る前くらいのこと。
私が何かで怒られて、 親に怒られて泣いても泣いても許してくれず、 お尻を父に叩かれてた記憶、 今でも忘れてない。
謝ったのに、謝ったのに、 叩かれて叩かれてすごく痛くて、 「なんで?」 って何回も思ってた。
これで親が信用できなくなった訳じゃないと思うけど、 こういうことが積み重なっていったのかもしれない。
また、別のとこに理由があるのかもしれないし、 理由なんてなかったのかもしれない。
でも、小さい事だけどなんか忘れられない。
親へは今でもどこかで絶対の信用はできていない。 無意識だからどうにもできない。 信用したいとは思ってもできないものはしょうがない。 そんな感じ。 でも、嫌いだとは思わない。 感謝も恩も感じる。 恩返しは絶対しないといけないとも思う。
そんなこともあって、
その頃の友達付き合いを思い出してみると、 本当に希薄なものでした。
学校での友達付き合いは、 「学校だけ一緒にいる友達」 だったし、私にとってそれ以上深く付き合う理由も無かった。
ただ、一人でいるのは嫌だし、いじめられても嫌だ。 みたいな感覚で一緒にいる友達が多かった。
だから学校外でも遊ぶ友達は数少なかった。 遊んだとしても、 自分から誘って遊ぶなんてほぼゼロだった。
その考えが変わったのは多分、 中学三年の終わり頃からだと思う。
きっかけは同級生の友達でした。
私は、それまではその子のことを、 普通の友達より少し仲が良い友達、と思っていました。
学校で一日中二人でいることもありましたから、 彼女は私のことを一日いても良い友達だと思ってくれてる、 ちゃんと友達としてみてくれてて嬉しいなぁ、 という想いでしかみていませんでした。
彼女は私にすごく優しく接してくれた。 普通の友達以上に、私を一番の友達として接してくれました。
今思っても分からないけど、 なぜ私を一番にしてくれたのか、 すごく謎だけど、嬉しい限り。 友達としてはダメダメだったと思う。
昔を思い出しても、 私は基本的に「〜したい」と思って動いてなかった。 だから、友達のところへ動くのもめんどくさい時もあった。
接しても表面上の付き合いしかできないし、 めんどくさいだけ。 そう思ってるから余計に、「別に友達付き合いなんて」と思ってた。
でも、彼女は違った。 私が、一人でいたらすぐ来てくれて、 彼女と友達になってからは寂しさは感じなくなった。 彼女は100%を私に見せてくれた。 だから私も自然に自分を出していけた。
その子のことを親友とまで呼べるようになったから、 私は、友達の素晴らしさを知る事ができたし、 私自身、強くなることができた。
人を信用することも教えてもらった。 絶対の信用を誰かにしていないと、 どこかで自分に自信がもてないと思う。
私は彼女がいなかったら昔のまま成長していない。 もっともっと心は冷たい人間だったように思う。
ある意味で、私を生き返らせてくれた命の恩人かもしれない。
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