気まぐれ雑記帳。
< 2020年10月01日(木) > 大石に日本語力を救われた私。
さあ、数日間空いてしまったけど今日も日記を書くよ! 今日も自分語りだよ!! 何故って、私は自分が大好きだからね!(ナルシストこy) でもその前に、氷帝セレクションの話だけさせてくれ! 最近確実で全国氷帝のOVAをようつべでプレミアム配信してくれてたわけだが、 大石・菊丸vs宍戸・鳳の試合の話『ふたり』の予告編がヤバすぎたwww 一字一句憶えてるわけじゃないんだけど 英二「大石、これから先…1年先も5年先も10年先も20年先も50年先も100年先も、一緒にやろうにゃ!」 みたいな感じで。 何この激激激激重メンヘ爆発英二にゃんwwwww震えちゃった… 予告映像にはコンテナとか俺を引退させるなよとかなんでだよ大石ぃ!とかが使われてたんだけど 本編ではコンテナだけだししかも当時の映像じゃなくて新しく作画されてた。 声も当て直されてたぽい。 はー黄金最高だった。以上。 はてさて、今日はタイトルの通り、大石によって日本語力が救われた話をするよ! オタロード中編で語った通り、私は高校4年間をドイツで過ごして 自由時間はほとんど小説書いたりサイト更新してるオタクだったわけね。 その頃、生活の8割が英語だった。 海外留学と聞くと「英語のお勉強」をイメージされる方も結構いると思うんだけど 実際は「英語でお勉強」だからね! 「英語」の授業(日本でいう「国語」の授業)はシェイクスピアとかやってたw You areじゃなくてThou artだったりする近代英語ってやつです。古文的な? 私は日本語の古文や漢文よりも近代英語のほうが絶対読める… (ていうかマジで古文漢文わからんマン) 休み時間や部活も勿論英語。 日本人同士では日本語使ってたけど、よく一緒に過ごす子には韓国人もいたし イギリス人とベルギー人とアメリカ人とドイツ育ち中国人の子らともつるんでたし、 一人でも日本人以外が混じった時点で全部英語だったからね! マジでインターナショナルスクールって感じ! 日本人が多い学校だったので「日本語」の科目はあったけど、たぶん日本の英語の授業よりも頻度は少ないくらい。 あとはおうちで家族喋るときとかは日本語だったか。 街ではドイツ語だしね。喋る機会はそんなに多くはなかったけど。 そんな生活してたもんで、ドイツ生活2年目過ぎたあたりからは英語の方が出やすくなってた。 語彙力低いし文法間違うので一番得意な言語は日本語なんだけど、ぱっと出やすいのは英語になった。 日本語喋るときにどもり症状始めたのはマジでヤバイなと思った。(「おおおおはよう」みたいなやつね) (か・か・か・柿の木ふぁ・ふぁ・ふぁ・ファイオー!)(←) 私と大体同じ時期(幼少期)をアメリカとドイツで過ごた日本人同級生がいたんだけど、 その子は日本語フツーに喋れるのに書かせるとまあ崩壊してたよね。。漢字とかも相当危うかった。 何故私がそこまで崩壊せずに済んだか? それは日頃から使っていたからで。 何で使っていたか? そりゃ小説と日記の執筆でしょう!!! いえね他の字書きさんの作品とか読んでて、 「私はこんなに素敵な表現は自分で書けんなー」て感じたり 「オデ…コノ漢字…読メナイ…」てなって読み方や意味を調べることとかは度々あるんよ。 もう日本帰国して相当経つし私の努力不足なのかもしれんけど、 「自分の英語力相当の日本語力を削られている」と考えたら まあ多少日本語下手なのも頷けるというか…許してと言うか…ナイス冤罪符…(←) というわけで、長年字書きしてる割には文章うまくないなっていうのはあるかもだけど、 本当なら激ヤバになってたかもしれないのにそれなりに保たれたのは 「小説と日記をほぼ書いてた」お陰だと思うのマジで…。 特に書き言葉。 喋れるけど書けない友達の話は上に書いた通りで、 海外子女の日本語力の一番の課題は書きなのよね。 だから私の日本語力は「大石によって守られた」といって過言ではないのだよ。ありがとう大石。 拍手レス! >さつきさん お久しぶりですー!日記も作品も読んでくださってありがとうございます! タイムリープ、小塚と大石のやつですね!気に入って頂けて嬉しいです。 お題で頂いたものの原作が手元になく、1年の頃の設定があやふや過ぎて苦戦しながら書いた憶えがあります… 実は微妙に矛盾があるっぽいのですがご愛嬌ということでw テニラビのお陰もあって再燃してくださったお陰で我々の出会いもあったと思うとテニラビに感謝ですw 掲示板文化懐かしいですよねwすっかり見なくなりましたが…。 拍手にメッセージ、いつもありがたく受け取っております。 これからもお気軽にどうぞw コメなし拍手もありがとうございますー!
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