窓のそと(Diary by 久野那美)
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2001年11月30日(金) |
そのためにしなかったこと |
「何かをする」ということは、<その代わりに他の何かをしない>ということだ。 同じように「何か」をしても、何をする替わりにそれをしたのかによって、「何かをする」ことの意味は全然変わってしまう。
<パンではなく>ご飯を食べるのと、 <食べないのではなく>ご飯を食べるのと、 <お茶を飲むのではなく>ご飯食べるのと、 <眠るのではなく>ご飯を食べるのと、 <恋をするのではなく>ご飯を食べるのと、
では、「ご飯を食べる」ことの意味も、その行為のスケールも違う。 同じ茶碗でおなじだけご飯を食べるにしても、 <パンを食べるのではなく>食べるご飯は地味でこじんまりとしているし、 <恋をするのではなく>食べるご飯はなんだかすごい。
実際に行われた「何か」のなかには、いつも、そのためになされなかった「何か」が、実際に行われた「何か」と一緒に抱き込まれているような気がする。そして、行われた行為の大きさは、実際に行われたそのこと自体ではなく、ふたつの「何か」を同時に含むことのできる世界の大きさに比例するのだ。 そのふたつが離れていればいるほど、それらを包括する世界も大きくなる。
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知り合いの、ある女優さんに「どうして演劇をはじめたの?」と尋ねたとき。 「10代の頃、将来物理学をしようか演劇をしようかか悩んで、結局演劇に決めたの。」 という答えが帰ってきた。<物理学を研究するかわりに>行われる演劇・・・。
それはなんだかとてもぜいたくな演劇のような気がした。
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