窓のそと(Diary by 久野那美)

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2000年10月20日(金) 何してもいいということ。  

「好きなようにしていいよ。」「何をしてもいいよ。」と言われるのが苦手だ。

いいのか。
と思って好きなようにするとたいてい怒られるから。

「いくらなんでも非常識でしょう。」
「何をしてもいいと言ってもそこまでは。わかるでしょう。」

それは約束が違う。だったら最初にそう言ってくれればいいのに。「どこまでの範囲で」何をやってもいいのか。
そもそも、ひとはひとりひとり、考える方向も範囲も違うんだから、本来何をするか分からない他人に対して、
「何をしてもいいですよ。」と無制限に言うのはものすごいことなのだ。
そんなものすごいことをさらっと言うなんてすごいと思ったら違うのだった。
「何をしてもいいですよ。」というのは、「私の思っている範囲のこと以外はしないでね。」
という意味であることの方が多い。慣用句なのだ。

でも、何が、そのひとの思いつく範囲なのかわからないから、その言葉はやっぱり不合理な気がする。
説明してくれないとわからない。お互いに。でもその言葉が出てくるとそれ以上説明してくれない。
だから苦手だ。


でも。ひとりだけ。ほんとうに何をしても怒らないひとに会ったことがある。
怒られないのをいいことにどんどん助長しているのに、微動だにされない。
たぶん、誰も彼の想像の範囲を越えることはできないんじゃないだろうか。
何故かというと、この人の想像には範囲がないからだ。
毎月台本を書かせていただいているstry for twoというラジオドラマの、ディレクターの広畑さんという方。
このひとの「何をしてもいいですよ。」の裏には底なしの覚悟が見える。
これはこれで反対に恐怖だ。とても生産的な恐怖を感じながら、毎回書かせていただいている。
他の場所ではさしわりがあるかもしれないけど、ものを創る現場にこういう方がいらっしゃるのはとても素敵なことだと思う。
ご本人は大変だと思うけど。

「いつでもスタジオにあそびに来て下さい。山羊でも羊でも連れてきていいですよ。」
とおっしゃる。これも聞き捨てならない台詞だ。
でもいつも。安心すると同時に、ちょっと残念な気もする。せっかくのご厚意に添えなくて。
自分の想像力の狭さを反省する。まだまだだなあと思う。
いつか山羊を連れてスタジオに遊びに行きたい。


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