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映画にも登場する棚田は、もうひとつの歌舞伎舞台がある中山の春日神社の近くにあった。 |
「民俗資料館に興味はありますか?」と柳生さんに聞かれて案内されたのは、閉館となって久しい資料館。同級生のお父様、井口三四二さんが散逸していく島の生活道具を後世に残したい一念で集めた膨大な資料が倉庫に所狭しとひしめきあっている。別名「妖怪の元」と柳生さんが呼ぶ理由を、2日後の22日に知ることになる。 |
「店台」などと道具のひとつひとつに添えられた味のある説明書きは、三四二さんの直筆。亡くなる間際、柳生さんに資料館を頼むと言い残し、今は柳生さんが管理されているというが、三四二さんの想いを知っているだけに責任は重く、どのような形で公開すればいいのか、思案しているところだという。 |
美容院の一角を再現したこのコーナー、磨けば面白くなりそう。外観も再現して、フォトロケーションにするとか。 |
運営していた頃の看板は、今は役目を休んで転がっている。これも骨董の趣。 |
建物入口に立てられている資料館への想いを綴った看板からも三四二さんのひたむきさが伝わってくる。私財を投げ打ち、膨大な時間を費やし、まさに人生を懸けたのだろう。このまま眠らせておくのは宝の持ち腐れで、宝の山にする手はないものかと考えてしまう。 |
再びロケ地めぐり。大志(武井証)が自転車を走らせた石畳の道沿いに、大志がママの琴美(鈴木京香)を思い出す夢と、ラストの奇跡が起きる場面に登場する風車があった。宣伝写真の沖田家スリーショットを真似て、家族写真を撮る。 |
沖田一志(阿部サダヲ)と山岡静子(市毛良枝)が木陰で大志と琴美を見守る大きなオリーブの木は、昭和天皇が植えたものだとか。根元に大きなバッタがいて、恐らく生まれて初めてバッタを見るたまは、飛び跳ねて逃げるバッタをしつこく追いかけていた。 |
近くには「オリーブ発祥の地」の碑が。101年前、オリーブが根づいたのが、この場所らしい。 |
「光彩園」のロケ地は、町が運営するスパ施設。 |
その手前にある「道の駅」では、ハーブを使ったお土産を扱っていて、ホールではハーブのリース越しに「ぼくママ」ミニ展示をのぞめる。 |
眺めのいい2階のレストランでハーブカレーとフレッシュハーブティーの昼食。カレーは辛口、甘口ともになかなかおいしい。 |
ポットにびっしり詰まったフレッシュハーブには感激。しかし、店員さんの余裕のなさはハーブがもたらすゆったり感にはほど遠く、受け答えもぶっきらぼうなのが惜しまれる。 |
たまが出発前に「るるぶ」を見たときから目をつけていた「むらさきのアイス!」が売っていて(ラベンダー味)、オリーブ味とともに食べる。たまは口のまわりをクリームまみれにしながらほぼ一本食べきった。 |
オリーブ公園を後にし、映画で3歳の大志が「おせんべいのにおい」と呼んだ醤油のにおいがこぼれる醤油工場へ。においと記憶は強く結びつくが、わたしが小豆島で真っ先に思い出したのは、醤油のにおいだった。 |
続いては、昨日お会いした有本裕幸さんのいる 二十四の瞳映画村へ。「魚にえさをやれるんですよ」と有本さんに聞いていたが、シャリシャリに凍ったシャーベット状態の小えびを箸でくずすという豪快な絵付け。タイがジャンプして食いつきにくる。 |
大石先生と子どもたちの像。Vサインをしている子や手を振っている子……ではなく、先生を相手にじゃんけんをしている。映画を観ていないのに、たまはすばやく理解して、「じゃんけん」とチョキを出していた。 |
87年公開版の撮影で使われたセットを中心に古い街並が再現され、土産屋などが入っている。校舎の中にはロケで使われたそのままなのか、教室が残っていて、先生になったり生徒になったり。目の前は海で、このロケーションはすばらしい。校舎近くにはボンネットバスがあり、子どもたちがうれしがって乗り降りしていた。 |
有本さんにおみやげをたくさんいただき、記念撮影。「麒麟麦酒」の前掛け姿。ここの雰囲気にぴったりな「昭和ラガー」というビールがあるのだそう。この空の色、まだ夏のよう。 |
映画村入口には、ぼくママのチラシが。有本さん、ほんとに熱心に応援してくださってます。 |
「二十四の瞳」の著者、壷井栄の資料館では、生い立ちをまとめた映像を見ながら、彼女が使っていたというテーブルで葉書を書く。古き良き映画好きなご近所仲間のT氏に高峰秀子版二十四の瞳のポストカードを。切手は資料館で買え、ポストは映画村を出たところにある。 バスの待合室が大きな醤油樽。これ、島の至る所にあれば、小豆島らしくて、観光客に喜ばれそう。 |
再びドライブして土庄町へ戻り、ちょっと疲れの出たユウキくん親子と大阪へ帰るうちの両親が車を降り、かわりに峰子夫人が合流して、小豆島で売り出し中の「迷路のまち」へ。会長の泊道夫さんは瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わられているとのこと。待合所にも「ぼくママ」チラシを発見。 泊会長自らの案内で、迷路のまちを歩く。その昔、外からの攻撃をかわすために家同士がスクラムを組むように入り組んで建てられ、路地を三叉路にした結果、迷路のような街並ができたのだという。 |
上から見ると、重なり合うようにひしめく屋根は、歯並びの悪い歯のようでもある。 |
その眺めは、西光寺の三重の塔から見たもの。正面の本殿(?)に地下に入る道があり、壁を触らないと方角を見失うほどの闇を抜けると、突如オレンジの光に包まれ、見ると、淡いぼんぼりの光が両側の鏡で無限に続いていて、その光に反射的に救済を感じるという幻想的な体験ができる。その脇の階段をずんずん登っていくと、三重の塔のてっぺんに出て、迷路のまちを見晴るかすことができるのだった。 横から見ると十字架の形に見える隠れキリシタンのものらしい墓などを見ながら、迷いそうな路地を幾度も曲がり、「咳をしても一人」の尾崎放哉の記念館へたどり着く。すでに閉館時間となっていたが、記念館の前にある現役の井戸にたまは大喜び。「いれものがない両手でうける」は小豆島で作られた句だそう。迷路のまちを知り尽くした泊さんの解説のおかげで、何気なく歩いていたら見落としそうな見どころをたくさん拾わせてもらった。 朝から柳生さんにつきっきりで案内していただいたが、夜は長男夫妻に食事をごちそうになる。刺身、天ぷら、西京焼、そうめんなど、地元の幸をたくさんいただく。長男さんは妖怪の絵を描く「絵描鬼」で、柳生忠平の名で活動している。この名前が呼びやすく、たまもすっかり「ちゅーべー」となついたので、わたしもそう呼ばせていただく。 同じブランドの自転車に乗っていたのが縁で陽子さんが声をかけたという馴れ初めはドラマに使えそうだけど、その出会いがなくても一週間後に同じイベントで会うことになっていたとは、まさに運命。もうひとつ驚いたのが、京都で学生時代を過ごした陽子さんが、わたしが下宿していた女子寮の名を「聞き覚えがあります」と言い出し、「下宿先の候補として見に行きました」。おっとりした品のある口調で「トイレやお風呂が共同のところがよかったんです」と言い、本当は吉田寮に憧れていたというから、なかなかユニーク。妖怪との親和性も高そうだ。 話が弾んだので、ゲストハウスまで送ってもらったときにお茶していきませんかと誘う。ドアの前に紙袋が置かれていて、見ると、昼間一緒だったユウキくんとお母さんからおもちゃの差し入れだった。「小豆島滞在中お使いください」とメモが添えられていた。その中に、わが家にもある「水でお絵描きセット」を見つけて、早速お絵描き大会。忠平画伯が妖怪風のたまを描いてくれた。陽子さんも絵が上手。ここでは「幽霊が見える、見えない」話で盛り上がった。 こうして、盛りだくさんな小豆島3日目は終わった。 盛りだくさんといえば、明日からいよいよ最終週の「つばさ」は最後までネタ切れ知らず。主題歌のタイトルでもある「二度目の春」の意味は? 主題歌の歌詞と物語のシンクロというのも新鮮だけど、頭の何週分かの台本を読んでこの歌詞を作り上げたアンジェラ・アキさんはタダ者ではない。演出は1〜3週、6週(斎藤と加乃子)、10週(紀菜子あらわる)、14週(大衆演劇)、16週(台風)、19週(ビバマリア)、24週(千代と加乃子和解)のチーフディレクターの西谷真一さん。目を離さず、ハンカチも手放さず、ラスト6日間お楽しみください。 ファン掲示板へも感想をお寄せくださいね。
2003年09月20日(土) 花巻く宮澤賢治の故郷 その1
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