2006年8月22日生まれの娘のたまは、明日で3才。明日は今井雅子の6本目の長編映画『ぼくとママの黄色い自転車』の公開日で、そちらの話題が日記を占めることになるので、ひと足早く、たま3才レポートを。
保育園での月に一度の身体測定が今日あり、身長はまた伸びて、88.8センチ。誕生日の前祝いの拍手のような8並び。体重は12.9キロ。先月は13キロの大台に乗ったけど、ちょっと夏やせした。
この一か月の大きな変化は、「ぼくママ」を覚えたこと。毎朝のテレビ視聴と合わせて、脚本や確認用DVDなどの郵便物が届くうちに「つばさ」を覚えたように、チラシやポスターやノベライズが届くのを見て、キービジュアルが刷り込まれ、「ママのおしごとのえいがの、ぼくとママときいろいじてんしゃ」と覚えた。「ぼくとママの」が何度直しても「ぼくとママと」になる。今日は保育園の帰り、チラシを振り回しながら、「ぼくとママときいろいじてんしゃ、はじまりますよー」と触れ回ってくれた。明日の舞台挨拶にも行く気満々。「ママのおしごと」と言ってもどこまで理解しているのかわからないけど、応援してくれるまでに成長したんだなあと3年の時の重みを受け止めている。
あいかわらず、映画『クイール』のビデオが好きで、自宅の電話の受話器を手に取り、「もしもし、とうきょうのみとですけど」と映画の冒頭の台詞をしゃべったりしている。恐竜キャラが活躍するアメリカの子ども向け番組『Barney』のビデオも大好きで、ぐずると、「バーニーみるぅ」となる。「オーマクダーノーハーダーファーム イーヤーイーヤーヨー」と英語の歌をそれらしく真似して歌う。
NHK「みいつけた」でやっている「オフロスキー」にはまったのは、この一か月。空のバスタブにパジャマ姿でつかっているオフロスキーというキャラクターが、毎回単純な挑戦を繰り広げるのだけど、単純ゆえのおかしみがある。「呼んだ? 呼んだよね?」とバスタブから体を起こすお決まりの始まりに、親子でワクワク。演じる小林顕作さんの愛嬌たっぷりの表情にも見入ってしまう。
ここ数日のお気に入りの遊びは、「感動の再会ごっこ」。始めたのはずいぶん前で、部屋の端と端に離れて、「ママー」「たまー」と呼び合いながら駆け寄り、「やっとあえたねー」と落ち合って抱き合うという至極シンプルな遊びというより一発芸。以前は床に物が転がり過ぎて、障害物競走を兼ねてしまっていたのだけど、大掃除の成果で床面積がだいぶ広がったことから、再会までの助走の距離を取りやすくなった。おかげで、たまも以前よりも張り合いを感じて、「もういっかい、かんどうのさいかいするー」と一晩に数十回繰り返すことになる。「かんどう」と「さいかい」のそれぞれの意味はたぶんわかっていなくて、「かんどうのさいかい=ママと抱き合う遊び」だと理解しているのだろう。
冷蔵庫を開けて牛乳を取り出したり、ビデオをデッキに入れて再生ボタンを押したり、もうこんなこともできるのかと日々驚かされる。たくましくなったなあと頼もしく思う反面、わが子ながら軟弱だなあと歯がゆくなることも。人見知りが激しく、人の家に行ったり、お客さんが来たりすると、たちまちぎこちなくなる。打ち解けるまでの解凍時間が親にはもどかしいが、娘には必要な時間なのだろうと待つ。
また、ちょっとでも濡れたり砂がついたりすると、「ふいて!」と金切り声を上げるのも、都会っ子のひ弱さを感じる。子どもなんだから、少々の汚れは気にぜず、大らかに遊べばいいのに。保育園でこまめに手足を拭き、清潔に保ってくれているのはありがたいのだけど、きれい好きになり過ぎてしまった。「べたべたするよー」「どろどろするよー」「ぬるぬるするよー」「よごれちゃったよー」「きもちわるいよー」……不快を訴えるボキャブラリーはずいぶん豊かになったけど、ポジティブ思考の母親としては、ネガティブな表現よりも美しいもの、楽しいことを愛でる言葉をふやしてほしいと思ってしまう。おむつは結局3才までには外れない(今日一晩で奇跡的に外れることもなさそう)のに、紙おむつがずっしり重くなっても、それには不快を訴えない。
思い通りに行かないところが子育ての面白いところ。娘から見た親も「なんでわかってくれないの!」の連続なんだろうなと苦笑しつつ、わたしも明日で母3才。2才最後の贈りものの子守話は、一人で大きくなったんじゃないよ、の思いを込めて。
子守話92「たんじょうびケーキは だれが つくったの?」
たまちゃんの 3さいの おたんじょうび テーブルに おおきな ケーキが あらわれました。 「わあ すごい ケーキ。だれが つくったの?」 たまちゃんは ケーキに のっている いちごよりも めを おおきく みひらいて いいました。
「こむぎこと さとうと たまごと ぎゅうにゅうを まぜて オーブンで やいて れいぞうこで ひやして クリームを あわだてて ケーキに ぬって いちごで かざりつけたのは ママ。 でも ほかにも もっとたくさん このケーキが できあがるのに おてつだいしてくれた ひとたちがいるの。 ううん ひとだけじゃなくて どうぶつや むしたちも いるのよ」 と ママが いったので 「どういうこと?」と たまちゃんは くびを かしげました。
「ぎゅうにゅうは うしさんたちが だしてくれたものだし そのうしさんたちを そだててくれたのは ぼくじょうの ひとたち。 ぎゅうにゅうを しぼる ひと しぼった ぎゅうにゅうを のみやすく きれいにする ひと きれいになった ぎゅうにゅうを かみパックに つめる ひと たくさんの ひとたちが いれかわり たちかわり はたらいて いっぽんの ぎゅうにゅうに なるの。 そして もうひとてま かけて なまクリームに なるのよ。
きれいな あかい いちごが みのったのは みつばちが はなの みつを はこんでくれたからだし はなが さくまで だいじに そだてて みが ついたら もぎとって パックに つめる ひとが いたから。
こむぎこだって たべられるように なるまでは たくさんの ひとが つちを たがやして たねを まいて みずを あげて かりとって こなを ひいて ふくろに つめて おくりだして くれているの。
おさとうだって はたけに みのっているときは さとうきびという ひょろりと ながい くきなの。 それが さらさらの つぶに なるまでには たくさんの ひとの てが かかっている。 もちろん さとうきびを そだてている ひとたちもね。 その ぎゅうにゅうや なまクリームや いちごや こむぎこや おさとうを ママが おみせで かえたのは そこまで はこんでくれる ひとが いたから。 それから おみせに しなものを ならべたり レジを うってくれる ひとが いたから」
いったい なんにん なんとう なんびきが おてつだいして このケーキが できたのかしら。 たまちゃんは りょうてを つかって かぞえましたが 10ぽんの ゆびでは たりません。
「わかった? ママだけが ケーキをつくったんじゃないってこと」 ママが そういうと 「パパだって おてつだいしたよ。おみせから うちまで にもつを はこんだんだから」 と パパが くちを とがらせました。 「あら もうひとり ふえた」 「じゃあ たまちゃんも」 たまちゃんは しあげに ろうそくを 3ぼん ケーキに ならべました。 パパが ろうそくに ひを ともして ママが へやの あかりを けしました。 パパと ママと たまちゃんと 3にんで おたんじょうびの うたを うたって たまちゃんが ろうそくの ひを ふきけしました。
「3さいの おたんじょうび おめでとう」とパパと ママが いいました。 「ありがとう」と たまちゃんは にっこりしました。 ありがとう パパ ママ それから このケーキが できるまでに おてつだいしてくれた みなさん。 てを あわせて 「いただきます」。
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この物語のヒントは最近読み返している『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)。小学生にもわかる平易で美しい文章で「社会で生きるとはどういうことか」という哲学を語りかけ、何気ない日常が違った風景に見え、視界がひらけるような発見に満ちた本。その中に、食卓に上る食べものを逆にたどって、社会のつながりで生きていることに気づかせる章がある。学生時代の知って感銘を受けたけど、年を重ねた今読むと、より深く響いてくる。書かれていることと自分が獲得した気づきの内容が近づいて、共感するところがふえたせいかもしれない。この一冊が手元にあれば、人生の灯台になってくれると信じられる本。たまが活字を読める年になったら、贈りたい。
2008年08月21日(木) 「まとめ食い危険」なROYCE’のナッティバー
2007年08月21日(火) マタニティオレンジ162 もしもし、たま電話。