2009年06月17日(水)  海へ帰ったサンマクジラと足利事件の17年半

たまった新聞をまとめ読みしていたら、「サンマクジラ」の続報があった。「サンマクジラ」というのは記事にあった言葉ではなく、5月28日付の朝刊一面に載った「動けぬ巨体 激やせ」の写真を見て、「サンマみたいだ」と思ったことから勝手に名づけた。和歌山県田辺市の内之浦湾の浅瀬に、仲間とはぐれた大型のマッコウクジラが迷い込んで2週間、餌も食べずにやせ細っていくかわいそうな姿を記事は伝えていた。

何とか海へ返そうと、あの手この手の追い返し作戦が試みられたが、迷いクジラは反応せず、地元では死んだ後の処理をどうしようかと検討を始めていた。ところが、何がきっかけだったのか、そのクジラが突然、沖へ向かって泳ぎ出し、背びれを高く持ち上げて海中へ潜っていく姿が目撃されたという。一体どこにそれだけの力が残されていたのか。背びれを上げた角度から相当深く潜ったのではと予想され、水深千メートルほどまで潜れば豊富な餌にありつけるという。ぐったりと動かなかったサンマクジラが、深い海の底で、ひさしぶりのごちそうをモリモリ食べて、クジラらしい体格を取り戻す姿を思い浮かべたら、じいんとなった。目の前で見守っておられた方々はなおのこと感慨深いだろう。

命のたくましさを伝える記事に心を揺さぶられ、元気づけられる一方で、普通に生きることを奪われた命の記事には、やり場のない憤りや空しさで心が揺れる。このところ連日取り上げられている足利事件の菅家利和さんの失った17年半。どんな償いがあろうと埋められないその時間を、どのような無念で向き合ってきたのか、インタビューを読みながら想像している。6月8日の読売長間、〈絶望の「自白」〉の大見出し、〈「やってません」13時間〉の横見出し、〈菅家さん「悲しくて泣いた」〉の黒ベタ白抜き見出し。「やったんだな」「やってません」の押し問答の取り調べが13時間続いて、気持ちが折れ、「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった」という。「刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやってないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた」。なんという絶望。望みが絶たれるのは、こういうことなのだ。あってはならないことが起きてしまった。

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