自動改札で引っかかり、精算機でsuicaをチャージして驚いた。残額の末尾が「76円」となっている。電車代は10円刻み、なのに6円というこの半端な数字は何だ? 頭の中を「?」でいっぱいにしながら改札を通り抜け、「そうか、利息がついたんだ」と納得した。利率があまりに低いので、さんざんチャージして、ようやく6円という数字になったのではないか。たった6円とはいえマイレージがついたようなほくほく感を味わいながらエスカレーターを上りかけて、「ちがーう!」と叫びそうになったのは、少し前にジョナサンで初めて「suicaで精算」をしたことを思い出したからだった。924円のような額ではなかったか。半端な6円の正体がわかり、下手に喜んだだけに損した気分になった。
それで思い出したのは、年末にダンナと新宿のすずやでとんかつ茶漬けを食べていたときのこと。味噌汁を90円プラスで豚汁で格上げしたのだが、その中に小口切りの白ネギがたっぷり入っていた。おいしそうに食べるダンナに「鍋物のネギは嫌いなのに、こういうネギは好きなの?」と不思議がると、「大きく切ってヌルヌルするのが嫌いなんだよ。細かく切ってるやつは好き」と答えがあった。「同じネギなのに、変なの」と言うと、「同じ人間でも好きなときと嫌いなときがあるでしょ」と言われた。その瞬間、わたしの顔がニタリとなったらしく、「君のことを『好き』って言ったんじゃないんだけど。そこだけ聞いて喜ぶなよ」と呆れられた。
星占いでもおみくじでも、自分に都合のいいところだけ目に飛び込んで、他は見ないし、見ても忘れる。『子ぎつねヘレン』の脚本を読んだプロデューサーに「君のト書きはひどいね。どこで勉強したの?」と言われたのを、「台詞はうまいってことなんですね」と喜んで、呆れられた。でも、脚本家も妻も、くじけず、いじけず、たくましくやっていくためには、自己肯定が何より大事。図々しいぐらいのおめでたさが身を助けるように思う。
おめでたい性格を物語る事件を、ついでにもう二つ思い出した。
その1、丸見え事件。就職して間もない頃、大学の応援団の後輩の演舞を観に行った。トイレから出て来たわたしを他大学のチアリーダーがすごい勢いで「先輩!」と追いかけて来たので、「他大学の後輩に、こんなに慕われてたんだ」と自惚れたら、「先輩、パンツが丸見えでいらっしゃいます」。スカートの先っぽが下着の中に入り込んでいた。そりゃあ息せき切って追いかけますわなあ。
その2、松田聖子事件。会社のパーティで、今はなきベルファーレで踊り狂っていると、わたしに向かってフロア中の人々が殺到してきた。その中の一人の男性をつかまえて、「何があったんですか?」と聞くと、「松田聖子さんですよね?」と言われた。「私ですか? いえ、違います」と動揺しながら答える間に、その男性はわたしの横をすり抜けて行った。わたしの後方に出来た人だかりの中心に本物がいたことを後日写真週刊誌で知った。
思い込みの激しさと自意識過剰の組み合わせが、おめでたい勘違いを引き起こす要因だと思われる。年を重ねて落ち着きが出て来たのか、最近は勘違いのスケールが小型化していると自分では思っていたけれど、suica利息事件で、おめでた思考回路の健在ぶりが証明された。
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