2008年01月20日(日)  マタニティオレンジ222 孤悲するおっぱい

くしゃみ鼻水にはじまって発熱、頭痛と関節痛と吐き気が加わり、風邪の症状の百貨店状態。満身創痍とはまさにこのことだが、今回一番つらいのが、おっぱいの張り。治りかけの娘にわたしの風邪をうつさないためと、わたしの仕事があるために、金曜の夕方にダンナの実家に娘を預けたきり。作ったものの飲まれない母乳が貯水量(貯乳量?)を超え、タンクが飽和状態になり、「張る」という状態が起こる。内側から固いもので押し広げられているような痛みと重みがあり、熱も伴う。寝ていられないので、絞り出すしかないが、これもまた痛い。母乳の供給量はピーク時よりはずいぶん減り、今では一日二日あげなくても平気だったのだけど、熱のせいなのか、薬のせいなのか、ひさしぶりに張りの苦痛を味わうことになった。

子どもと離れる時間が長くなる働くお母さんは、保育園がはじまるのをきっかけに卒業する人が多い。わたしは張らずに持つので続けているのだけど、「やめれば」とダンナ母は最近顔を合わせるたびに言う。夜の打ち合わせが入ると娘を泊まらせるのだが、おっぱいで寝かしつけるのが癖になっているので、夜中におっぱいを欲しがってぐずって大変だという。手こずらせて申し訳ないとは思うけれど、「私には武器が使えないから」とぼやかれ、目の前で授乳していると、「いいわね、あなたは武器があって」と言われると、げんなりする。悪気はないのだろうけれど、武器なんて言い方をされると、姑息な手を使ってたぶらかしているみたいだ。

「母」という字は授乳する姿を象ったものという説がある。たしかに、おっぱいと腕を組み合わせたような形をしている。授乳は母親だけに許されたコミュニケーション手段。それがもういらなくなる時期は、母と娘で決めたい。ほしがっている限りはあげたいけれど、子どものほうからある日「いらない」と意思表示する例をよく聞く。娘の場合、栄養は食事で足りているから、おやつ感覚で甘えているわけで、卒業するのも時間も問題だろう。そうなると、余計に名残惜しい。

おっぱいが張ると、離れた場所にいる娘が引っ張っているような気がする。小さな手をグーパーさせる仕草でおっぱいをねだる姿もくっきりと目に浮かんで、会いたい、だっこしたいと思いが募るのだけど、それはかなわず、ますます胸は痛むばかり(二重の意味で)。万葉集の孤悲(こひ)の境地ってこんな感じなのかなと思う。

2007年01月20日(土)  マタニティオレンジ61 たま5/12才
2002年01月20日(日)  浮き沈み

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