耳掃除をしているダンナが「耳垢がよく取れる」と言うので、「最近どっか汚い場所に行った?」と聞いたら、しばらく考えて、「うち」と答えが返ってきた。絶句した後にわたしも最近行った場所を思いめぐらせてみたが、わが家に勝てる汚れ具合の場所を思い出せなかった。それほど堂々たる汚れっぷりは一日にしてならず、ここのところの忙しさのしわ寄せが、洗ったもののまだ洗ってないものの区別がつかない衣類の地層や、必要な分だけ洗っては使うので底のほうに澱がたまりだしたキッチンシンクとなって現れている。しかし、慣れというのは恐ろしいもので、毎日少しずつ汚れていくと、案外自然と受け入れてしまい、その環境に適応していく。古新聞やボツ原稿が散乱した床で滑っては転ぶを繰り返していた娘のたまは、上手に紙切れを避けて歩くようになった。
お客さんがあれば焦って片付けるのだが、来客どころではない忙しさもあり、ますます家は荒れるがまま。ところが、わたしが仕事に出かける間、ダンナ母が家に来て、ダンナとともにたまを子守してくれることになった。「おかあさん、すごーくちらかってますけど、驚かないでくださいね」と電話で釘を差すと、「いつものことじゃない」と相手はよく状況をわかっている。とはいえ、せめてお皿ぐらいはと溜めに溜めた洗い物をやりかけたら時間切れとなり、ダンナに「続きよろしく」とまかせて家を出た。「続き」の中には、洗った食器をどけた後に現れるシンクの壁や底のヌメヌメの掃除も含めたつもりだったが、言われたことしかやらないダンナにそれを期待したのが間違っていた。
帰宅して、磨き上げたようにピカピカになったシンクに目を見張り、「まさかと思うけど、ここまでやってくれたの?」とダンナに聞くと、「まさかまさか。うちの母親があきれながらやってくれたよ」の返事。「汚れがこびりついた瓶とか、捨てればって言ってたよ。あれはひどいね。中でなんか飼ってるの? ボウフラとか?」とイヤミの攻撃に、「皿洗いはわたしの仕事って決まってるわけじゃないだろ!」と反撃。たしか一緒に住みはじめたときは、わたしが作ってダンナが洗う約束だったはずなのに、いつの間にかわたしが作って洗う人になっている。家路についたダンナ母に電話して「すみませんでした」とお礼とお詫びを伝えたら、「忙しいのはわかるけど、毎日ちょっとずつやればできるから。私だったら、きれいなほうが気持ちいいし」と普段は毒舌全開のダンナ母が珍しくわたしを気遣う口調で言ってくれた。同情を誘うほど悲惨に映ったのかもしれないし、あんな家に暮らす可愛い息子と孫を不憫に思ってしんみりしてしまったのかもしれないけれど、わたしも素直に「はい」と答えた。
大掃除の季節なのに毎日の掃除もままならない。開き直って掃除怠慢をネタに年賀状の見出しを「ネズミ大発生」にしたが、笑いごとではないよという突っ込みも聞こえてきそうだ。ちょうど読み終えた本が『いいかげんに片づけて美しく暮らす』。出産後の入院中にご近所仲間のキョウコちゃんが持ってきてくれた本で、作詞家の岩里祐穂の心地よい文章をするすると読んでいると、すっきりと片付いた部屋が目に浮かんでくる。わたしの家は白と茶色が基調とはいかないけれど、せめて自分のためにも家族のためにも美しくなくとも清潔な家で暮らしたい、来年こそはと思う。
とりあえず、今できることとして、「その日の洗いものはその日のうちに」を実行することにした。ここ三日ほど続けてみると、やはり気持ちがいい。それに、一回ごとの洗いものが楽になった。作業的にも気持ち的にも。毎日少しずつこなせばいいことを溜めるから、持ち越される作業量に比例して気が重くなり、効率が悪くなり、ますます片付かなくなるのだ。毎日つけるべき日記も、溜めに溜めてしまうと、どこから書いていいかわからなくなる。後で詳しく書くときのための備忘録として一行だけつけている日記はすでに50日分ほどになり、古い日付のものは記憶が薄れ、一行を手がかりにしても何も思い出せない日もある。その日の日記はその日のうちに。来年こそは!
2006年12月26日(火) マタニティオレンジ49 アメリカのベビー服
2001年12月26日(水) ロマン配合