朝5時に起きた娘のたまが苦しそうに泣き続け、泣いたり泣き止んだりを繰り返しながら7時になってもぐずり続けた。こんなことは初めてで、どこか痛いんだろうか、悪いんだろうか、と心配になる。思い当たることといえば便秘だけれど、果汁を飲ませようとしてもイヤイヤをして受け付けない。
たまがどんなに泣いても目を覚ましたことのないダンナが起き出し、「病院へ行こう」となった。平日だったら走って三分のところにある小児科が八時に開くのを待てばいいのだけれど、あいにく日曜日。区でもらったしおりを頼りに救急外来をやっている病院に電話する。まずは最寄のA病院。「どうされました?」「子どもが泣き止まないんです」「はあ?」。明らかに、そんなことで電話するなよ、というニュアンスの対応。でも、うちの子はめったなことで泣き続けたりしないんです。こんなに泣くからにはどこか悪いはずなんです……という言葉は飲み込み、「十時半まで先生が来ません」と言われるがままにその時間に予約を入れる。電話を切り、「十時半まで泣かせとくわけにはいかない!」とB病院に電話すると、こちらは「すぐ来てください!」とあたたかい言葉。わが携帯電話に後光が射したようなよう。
雨の中、タクシーで病院に駆けつけると、八時前の救急外来は活気があり、平日の昼のような雰囲気。先客あり、後からやって来る人あり、親子連れでにぎわっている。親が不安そうな割には子どもたちは元気そうに見える。わが娘たまも、タクシーに乗り込んだ途端泣き止み、診察の順番が回ってきたときには、けろっとしていた。「泣き止んで」と祈ってたくせに、病院に着いたら「少しはしんどうそうにしてて」と親は勝手なことを思う。診てくれたのは、医者というより噺家のようなひょうひょうとした初老のお医者さん。「さっきまで泣きじゃくってたんですが」と恐縮すると、「よくあることですよ」と朗らかな口調に救われる。「便秘でおなかが痛いんじゃないかと」と恐る恐る打ち明けると、「じゃあ浣腸しましょう」とこれまた明るく言ってくれ、別室で女医さんに取り次がれた。
ベッドに紙のシーツを敷いた上にたまを寝かせ、浣腸を終えた女医さんが「すぐ出ると思いますよ」と言い残して離れてから、本当にすぐに快音(?)が轟いた。すっきりした顔のたまを抱き、「ありがとうございました」と受付でお代を払おうとすると、結構ですと言われる。急患であっても乳児医療症の無料診療でカバーされるとのこと。ウンチごときで朝から大騒ぎして申し訳ない、おまけにタダとは恐縮するばかり。一件落着、家を飛び出したときとは打って変わって、よかったよかったと帰宅したら、時計はまだ十時前。なんだ、いつもの休日の朝のスタートと変わらないね、とダンナと笑いあう。
午後からは、応援団の後輩のかじかじ君と8月に出産を控えているお嫁さんの雅子さん、ダンナとわたしの大学時代の友人のウヅカ君が来て、食事。「今朝、こんなことがあったんだよ」と話したい誘惑に駆られつつも、ウンチの話なので遠慮した。子育ての大先輩のウヅカ君は、中学生と小学生の女の子のお父さん。かじかじ君夫妻のところの赤ちゃんも女の子。わたしのまわりは、女の子を授かる人がとても多い。
2005年05月06日(金) 吉村公三郎作品『眠れる美女』『婚期』
2002年05月06日(月) 古くても新聞