出産を終えてよく聞かれるのが、「『鼻からスイカ』ってほんと?」。直径的に無理があることのたとえだけど、スイカは大げさ、「鼻からキュウリ」ぐらいが実感に近い。キュウリにしたのは理由があって、出口の突破よりも、長さのある物が狭いトンネルを通り抜ける道中が大変なのだ。いわゆる陣痛。最初はジンジン、そのうちズンズン、ついにはガンガンと体の内側から金槌で殴られるような衝撃が10分おき、7分おき、5分おきと間隔を縮めながら襲ってくる。
痛みの新単位HANAGEが国際学会で承認されたというジョークがメールで飛び交ったのは十年ほど前だろうか。鼻毛一本抜く痛みを1HANAGEとすると、出産は一万HANAGEだったか十万HANAGEだったか。鼻毛を一万本(あるいは十万本)抜くほうがラクなのでは、と馬鹿馬鹿しい比較をするうちは余裕があった。「痛い」より「苦しい」に近い衝撃がボリュームのつまみを回すようにきつくなっていく。赤ちゃんは旋回しながら産道を下りてくる、と母親学級で教わった。産道をギリギリとこじ開けながら進む円周三十センチのスクリュードライバーを想像する。「少しでも直径を小さくするために頭蓋骨を折り畳んで出てくる」(そんなことができる胎児って何者!?)そうだから、実際の円周は三十センチもないかもしれない。でも、肩は外せないし、ワインボトルの底ぐらいはあるのだろうか。
「出産は十か月の宿便です」とカリスマ助産師の神谷先生は母親学級で言い放った。この人の言葉には一言も聞き逃せない説得力があるのだが、うちの子をウンチ呼ばわりとは、とこれにはフンガイした。先生は続けて言った。「これまで体験したことのないエネルギーがあなたに押し寄せます」。苦痛に耐えるのではなく、力を受け止める。その考えは気に入った。実際体験してみると、確かに途轍もないエネルギーだった。脳裏には、トンネルを開通させるために山に穴を空ける発破シーンが浮かぶ。陣痛のたびに体の中でダイナマイトが爆発するようで、体も気持ちもばらばらになりそうになる。脳裏を過ぎるイメージは、山肌を洗う溶岩流に、砂浜を飲み込む津波にと過激になっていく。マグマの怒りを受け止める地球ってこんな感じだろうか。
新聞で読んだバースコーディネイターのインタビューに「出産は女性の体から未来が生まれること」とあった。もう限界というとき、この言葉が自分を奮い立たせてくれた。未来を生むのだ、楽なわけないじゃないか。わたしがダンナと二人の助産師さんに励まされて何とか持ちこたえている今、おなかの中の「未来」は一人ぼっちで暗い産道を光に向かって進んでいるのだ。愚痴も言わず、弱音も吐かず。その胎児の姿をはっきりとイメージした。この子を世界に出してあげられるのは、わたしだ、と体に残っていた最後の力を振り絞った。何度も投げ出しそうになった七時間半の耐久レース。その苦しみは、生まれた瞬間の開放感と達成感と爽快感に吹き飛ばされた。ゴールテープを切った瞬間、次のレースのことを考えるマラソンランナーのように。
鼻からスイカ伝説は、「普通だったら耐えられない痛み」のたとえとしても語られる。わたしも「無痛分娩にすればよかった」と呪文のように繰り返していたけれど、わたしが体験したのは、麻酔なしで手術を受ける拷問のような痛みではなく、出口を求めて押し寄せる圧倒的なエネルギーだった。「耐えられる痛みですか」。出産を控える人にそう聞かれたら、「ラクではないけど、怖がることはありませんよ」と答えている。それを受け止める力は、ちゃんと母親には備わっているから。「命を宿す力があるということは、命を産み落とす力もあるということです」とも神谷先生は言った。
2002年02月04日(月) 福は内