■先日再会した岩村匠さんの『性別不問。』(成甲書房)を読み終える。会って本を交換したその日に一気に半分まで読んだのだけど、出張やら自分の本の出版やらで中休みしてしまっていた。昨日ひさしぶりに本を開いたら、後半も一気に読破。一言で言うと、予想以上に面白かった。ライターだけあって文章が読みやすいのはもちろんだけど、出てくるたとえがどれも秀逸。「男の心と女の体」を持って生まれてきたことを「女のヌイグルミを着た男」と表現するセンス、コピーライターとしても才能を発揮できるのではないだろうか。職場での男女比を聞かれた上司が「男と女と岩村」と数えた逸話が紹介されているが、「世の中は男と女でできている」と教えられ、そういう価値観でこの年になってしまったわたしには、この本で描かれている「心と体の性の不一致が招く悲喜こもごも」は衝撃的に新鮮だった。履歴書にもコンクール応募にも性別を書かされるのはなぜ、なんて考えたこともなかったし、心の性である男にマルをしたいが、女子大卒という矛盾が生じてしまう苦悩を想像したこともなかった。以前、日系人の友人が「日本人でもアメリカ人でもない中途半端な存在」であることに悩んでいたことを思い出した。日本人かアメリカ人か、男か女か、どちらかに寄せようとすると無理が生じる人たちがいることを普段は忘れてしまっているし、何気ない言葉がそういう人たちを傷つけているのかもしれない。日系人の友人と岩村さんの大きな違いは、「性同一性障害」という単語が市民権を得るまでは、どっちつかずの状態を語る言葉するすら持たなかったこと。同性愛者なのではと悩んだり、ゲイパレードに参加しても違和感を感じたり、葛藤の連続だったようだ。けれど、それを赤裸々に語る口調は、突っ込みと笑い満載で、決してじめじめしない。達者な筆の除湿効果で湿度10%ぐらいのからっとした文体になっているのが気持ちいい。結婚を「人生最大のギャンブル」と断じ、「博打禁止法で禁止されていないのはおかしい」と論じる視点の面白さにも感心。世の中は男と女に二分割できなくて、男でくくられる人も女でくくられる人も人それぞれなように、性同一性障害の人たちも人それぞれなんだってことを教えてくれる『性別不問。』は、一読の価値あり。
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