■先日、いきなり熱い紅茶を浴びた。カップ片手に読んでいた本に気を取られ、カップをテーブルに置いたつもりが着地に失敗(ナナメになった)し、紅茶の波が襲いかかってきたのだった。厚着の季節で命拾いした。■その本とは、『白い巨塔』。読み進むほど面白さが加速し、いつの間にか空が明るくなった日もあった。寝食を忘れて、と言えるぐらい夢中になってしまったこの作品、5年前に友人に借りたままになっていた。もっと早く読んでおけばと思う反面、シナリオを書いてから出会えて良かったとも思う。描かれているのは昭和四十年代の出来事なのに古さを感じないのは、登場人物の性格づけとその配置のうまさなのだろう。医師たちは、医師である前に人間であり、人間であるがゆえに、悩み、揺れ、流され、傷つけあう。自分を守るために誰かを裏切るのも、嘘を守るために嘘を重ねるのも、人間だから。患者の生死を預かる医者だって、そんな弱い人間なのだ。むしろ、命に関わる決断を常に迫られている医者のほうが孤独で心細いのかもしれない。そう思うと、地位や栄誉を求めてあくせくと動き回る医師たちを憎みきれないのだ。目の前の患者や家族から寄せられる感謝よりも、不特定多数から集まる尊敬や名声によって自分の存在を確かめようとする姿には、苛立ちや憤りよりも同情を感じてしまう。うーん、うまいなあと感心。■あまり会う機会はなく、ほとんど記憶にはないが、母方の祖父は町医者だった。おじいちゃんは、どんな医者だったのだろう。大学病院とは事情がまったく違っただろうが、信じる医学の道を不器用なぐらい真っ直ぐに突き進む里見助教授のような人であってくれたらいいなと想像する。