2010年06月26日(土) |
私ばっかときめいて。。。そんなのってつらいわ |
息抜きにメモります。読むと日本語崩壊で大変なので生きてるなーって思うだけにとどめておくのが1番平和だと思います\(^o^)/
アイマスの、流行によってボーカル・ダンス・ビジュアルにプラマイ補正がかかるって「なんじゃそらw流行で能力上下するとかおかしいだろ><」って最初思ってたんですけど、最近ようやくそのシビアな意味が理解できて。
つまり本人がどんなにダンス上手くても、ダンスを見たい!ダンスダンス!っていう前向きテンションが受け手で盛り上がってなければ興味の対象にもされない。人の目は物を育て変化・洗練させるので、たとえ絶対的な実力がBランクだとしても受け手の存在によってAランクに押し上げられる。不条理ですがCランクに下げられることもあるかもしれない。そして絶対的な実力が評価されることは極めて稀で(それを見極められる人ってほとんどいないと思うので。作り手のプロより少ないと思う)プラマイ補正の結果のみが後世なり当時の評価記録に残される…。
これってちょーこえー話だよな…とおぞおぞするのです。なんだ、いくらうちらが頑張って頑張って最高なもの出しても必ずその通りの反応が返ってくるとは限らない。運が悪ければ実質以下みたいに言われて積もるのはフラストレーションばかり…報われないこともある? それなら死ぬ気で頑張ったって無意味?(´・ω・`) っていう低テンション低クオリティの悪スパイラルに陥るのが1番恐ろしいことなので、心を強く持って作り続けなくちゃいけないんですよね。一寸先は闇の苦行ですね。
でもその苦行が快楽に変わる瞬間ってのがある。友達や知り合い、指で数えられるうちの人数でもいいから身近なその人たちに「やばいちょー楽しかった!面白かった。元気になった!」って喜んでもらえたら、もーそれでいいんです。もちろん会ったことも話したこともないような人から感想をもらったらもはや奇跡!?奇跡つかご褒美だろ!!って思うくらい嬉しい。ほんとです。あとは一緒に作る仲間で「これすげー面白くねww」ってフヒフヒ楽しみながら自分たちの面白いものを作ってるっていうワクワクする感覚。その2つは現実を忘れさせてしまうほどの麻薬で、何よりの原動力。 それが一切なくて、ターゲット層がどうこうとか次に売れるものがどうとか戦略ゲームとして歯車のように物づくりをするとか…そういう風に作れる人たちもいる。でも、もしかしてそういう風にしか作れない人だったらどうしよう…とか。 後者の人たちにとって私みたいなのって最初からいないとみなされるか、そうとう邪魔な存在だろうなと今ふと思った。だってもしかしたら緻密に組んだであろうスケジュールかき乱しちゃうかもしれないからね!やっほう!>< あ、別に私だって何も計画してないわけじゃないですよ。結構計算してるつもりですよ。ただちょっとプロットというか予定の立て方が普通と比べてヘンかもしれないだけで…昔からこれが地なのか幼稚なだけなのかよくわからない。まあその時々の能力を最大限使うしかないのでいいのですが。うん、最近自分ちょっとヘンかもなって認めてきたんです。ただ、ヘンな人でももっとヘンな人はいます! 比較しても意味がないので主張しても意味がない。うん、かなり眠いです。
ちょっとポケット期間に入ったので考えが色々と迷うとき、何を思ったかって図書館行って歌舞伎と浄瑠璃の上演記録見よう…と思いました。びっくりするくらい江戸時代の彼らと今私が触れてる状況は似通ってるんですよね。目を凝らせばかなり色々見えてくると思います。もっともっと、当時の人たちのグチとかぼやきとか載ってる資料を読んでみたいんですが…あるのかなそんなの。誰か知ってたら教えてくださいw 私は「尊敬する作家は誰ですか?」と尋ねられたら鼻息荒く「近松門左衛門兼定です!!!!」と答える人ですヽ(´ー`)ノ 最近は江戸時代の浄瑠璃作者たちに本気で親近感を覚えます。飲み明かしたい! けど多分なんだかんだ仲良くできないんだろうな…資料越しくらいでちょうどいいのかも。つかきっと浮世絵師の人たちとの方が仲いいと思う私。妄想終了。
さあがんばるか。うん朝の6時だよ? 昼から芝居なのにね! T宝ウィーンミュージカルコンサートが近年稀に見るドリームライブで腹抱えるほど面白いです(主に黄泉の帝王的な意味で)
|