度々旅
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祖父の命日である。早いものでもう2年。あの朝のことを考えながら昨日は寝た。どういう状況で母からの電話をとったのかあまり思い出せない。アパートから駅に向かうとき一人だったと思う。その途中の川沿いのベンチで一服しながら浴びた朝日がとってもまぶしかったことも覚えている。アパートから出て、母から再び電話をもらい、祖父が逝ってしまったことを聞いたのも覚えている。けれど、全部点と点だ。 とっても大切だった人なのに、その人がいない寂しさは薄れていき、私の部屋の祖父の写真にあげるお茶を変える回数も減った。けれど、それは自然なことかもしれないと言い訳してみる。そんな私だけれど、時々祖父と似たような雰囲気を醸し出すおじいさんを見ると、なんだかそれだけでぐっときてしまう。ああ、やっぱり私はじいちゃん子なんだなとその都度思う。そして、まるで忘れたかのように過ごし、時々自己嫌悪に陥る私は、なんともいえないこみ上げてくる感情に安心することも事実だ。 この1年、時々祖父に申し訳ないと思うことがあった。それは、見られていると感じるからだ。見られている。いつでも見られている。それは見守られているということ。ありがとうと思う。 祖父は2年前に旅立った。それは、新たな誕生と同じなのではないかと思う。だから、これからケーキを作ってお祝いをしようと思う。甘い物が大好きだった祖父。大好きだった祖父。そして、祖父が残してくれた言葉どおり私の大好きな人を大切に思う気持ちから、ケーキを作ろうと思う。
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