度々旅
INDEX|past|will
学部時代の友人からの電話。私が以前彼に言ったある言葉について、その意味を確認するものだった。どうも、その言葉を他の友人との会話において使ったところ、その真意を聞かれたらしい。
その彼は、人の言葉を非常によく覚えている。だから、私が適当に発した言葉について後日持ち出されることが多かった。言葉というのは、会話の文脈においてなんらかの意味を持っているものであり、いきなり部分的に抽出されても、戸惑ってしまう。しかし、彼は私の言葉を非常によく覚えており困った経験がある。
自分の言葉に責任というものが必要とされる場合がある。それは、何かの行動などと連関する言葉の場合だ。しかし、自分の思っていることや、人に相談された時に出る言葉というのは、私が発した言葉ではあるが、必ずしも責任を持てるものだということができない。その時の心情や、会話の文脈、相手によって変化することがあるからだ。少なくとも、自分で本当に思ったことではあるのだが、自分の発した言葉に常に執着して過ごしているわけではない。常に、私自身は変化しているのだから。
あの時は、そう思ったけれど今は違うというのは、無責任なことではないと思うのだ。
今回彼に言われた言葉は、「出会う人とは、出会うもの」という言葉だった。(どうも私はそのようなことを言ったらしい。)それは、常々私が思っていたことで、未だ思っていることだった。人というのは、同じようなものを求めて生活していた中で出会った人は、必ずまたどこかでめぐり合うだろうというようなことを私は思っている。
彼は私がをの旨を伝えたら、メモをしていた。なんとなく不愉快だった。
|