猫頭の毒読書日記
DiaryINDEXpastwill


2005年09月30日(金) マザー・テレサ

見に行ってきました。3回泣きましたね。わらったところもあるが。
なかなかよかった。
最後の言葉がちょっとよくないと思った。
しかしあとで調べたら
それはアッシシのフランチェスコの言葉であった。
マザーは説得術の大家ではないだろうか???
組織はシンプルなのがいい、という言葉もあった。


「飢えている人がいます。
 でもそれは、パンがないためではありません。
 愛、思いやりへの飢え、だれかの「自分」でありたいという思いがみたされない飢えなのです。
 裸の人もいます。服がないということではありません。
 見ず知らずということだけで、やさしい心づかいをしめしてもらえないという意味で裸なのです。
 でも、それらの人びとに話すことはできるだけ少なくしましょう。
 説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。
 ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。」

「私たちの行いは大海の一滴にすぎません。何もしなければ、その一滴も永遠に失われます。」

「大切なのは、どれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」
「身近な小さなことに誠実になり、親切になりなさい。その中にこそ私たちの力が発揮されるのですから」

行き倒れの人の口から出た「私は乾く」という言葉は、
イエス・キリストが十字架上で最後に口された言葉である。人によっては、
「たまたま同じことを言った」としか捉えないようなできごとだが、
マザー・テレサはこの惨めな死を迎えた男に、生きている生身のイエス・キリストを見出した.


猫頭 |MAILHomePage