猫頭の毒読書日記
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【ラテン語俗語近代的教養の確立】
★ 2005/01/24(Mon) 11:02 DELPHICAさんより byMさん、例の山本さんの本の二巻目は、かなりの部分(前回レファーした後援会の中核とかかわる)、知の独占体制の崩壊(ラテン語使用により教会および教会関係大学が知を独占していた)に関係があるんです。んで、そのあたりのラテン語・俗語関係+印刷術+地理上の発見を勝手にまとめてみると、大枠、次のようなことになるのかな、と思いました。
・印刷術の発明からあっというまに印刷物は普及し、十五世紀半ばにはかなりの印刷物が出回るようになった。 ・それにともない、手写本カルチャーは崩壊。 ・印刷術は最初から産業として発展したため、高需要の本を出していた。 ・当初、地理上の発見にともない、貴族(事業主ともいえる)・技術者(初期テクノクラート)・航海者(はじめのふたつとオーバーラップあり)などのための技術書(数学・天文・自然科学)が俗語でどんどん出る。(十六世紀文化革命) ・その後、日本で言うと草子やら読み本やらといわれたようなジャンルが(なにせ売れるので)でたのであろう。 ・裾野の広がりに応じて、完成度の高い文芸も出てくる。 ・その後、上層部をすくったかたちで近代的教養が確立。
当初、身分の高い女性が小説を読むのははしたない、などと言われたこともあったのでしたよね。
走り書きであれですが、やはり印刷術ってのはすごかっんだなぁ〜と思っているところです。 補足:印刷物は、最初はグーテンベルク聖書だったりしたわけですが、基本的には、「教会・大学のくん古学は蚊帳の外」だったんですね。それで教会は、俗語出版にしぶとく抵抗したし、聖書の俗語翻訳は異端よばわりだったりしたわけですね。知の独占によって手にしていた権力にしがみついていたようすが露骨に出てます。逆に言うと、ラテン語の敷居って高かったんですね。
訂正:後援会→講演会
こっちの例の本では、 _________、 印刷術がはじめて開発されたのは11世紀中国(可動活字) その方法がヨーロッパで採用されたのは1450年代(金属鋳造の可動活字) ルネサンスの世界に極めて劇的な進歩をもたらした
1455年「グーテンベルク聖書」(ドイツ)1200ページ 印刷本でも装飾は以前と同じ手彩色だった グーレンベルクの印刷所は一日に3000枚を印刷できた 最初期の印刷本は宗教書か古典作品だったが、印刷術の発明は 娯楽書の普及にも貢献し、結果として識字率を高めた。 1483年「カンタベリー物語」発行(イギリス) 挿絵は木版で印刷された _________
いや、 学問都市ウルビーノ…… ______________ ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンタフェルトロ(1422〜82)は 書籍の活字化を嘆き、ヨーロッパでも最大規模の手稿本の蔵書をもっていた 学識ある君主、芸術の庇護者として名を残している ______________……とある (ダ・ヴィンチ=1452〜1519)
ふむふむ。そういえば確か、ラファエロはバチカンの蔵書なんかだいぶ読んでいたはず(=ラテン語できる)。また、フラ・アンジェリコとかあのへんは(お坊さんなので)ラテン語できる。とすると、レオナルドはやはり、知の独占解体という観点から「新しい技術者」と見ることができるのかも。あの辺の誰がラテン語できたのか、できなかったのかって、案外おもしろいかも〜〜
ところでレオナルドと言えば、偶然ですが、本日、新潮社経由で読者からのおたよりが来たんです。『フェルマーの最終定理』を読んでのご感想です。その方はフィレンツェでフレスコ修復を勉強中なんだそうですが、絵はがきの裏(おもて?)に細かい字でびっしり書いてありまして、その最後はこうでした。
「レオナルドへの質問もそりゃ、たくさんあるのですが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできません。」(←最後、フェルマーのぱくりね^^;) by DEL
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