猫頭の毒読書日記
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2002年03月12日(火) 筒井康隆の「寝方」

【泉さんの話面白いから保存〜〜】 Res


◎ 2002/03/12(Tue) 09:54




泉@気分はタセット  投稿日: 3月11日(月)22時59分27秒
筒井康隆の「寝方」って、読みました?
好きだった作品。
何気ない日常を、極限まで意識化している。
そのおかしさ。
意味づけは大事だけれど、認識できる、意識化できるものって、意外に表層の出来事だったりする。
言葉に拠らない思考も大切ですよ。
あの人のここがスキって言える恋愛より、
どこが良いとは言えないけれど、なんだかわからないけど、どうにもならなく好き、
っていうほうが、深く愛してる気がしない?んなかんじ。
昔ね、第三舞台の鴻上さんとかと、よく飲んだりしたんだけどさぁ、
彼曰く、「世の中意味まみれなのよね」って。
意味をあえて主張しない、そこに存在し続ける、それだけを感じさせてくれる作品って言うのも、
なんか潔くって、静謐で好きなんだ。

話は飛びまくるけど、進化もそう。
意味不明な形態って言うのは、ダーウィニズムに反して結構豊富な事例がある。
僕たちがその有利さの意味を探り出せないものもあるし、もともと無意味だからこそ残るものもある。
無意味を許容することで、多様性が生まれたりすることもあるんだよん。

さて、話はラテン語に。
死んだ言語は変われないと言うこと。
日常で使われている言葉は、時代とともに言葉自体の意味が変化したり(例 いとかなし、ちょべりば)、
死語になって失われたり、常に変化していくもの。
でも、その言葉を使っていた民族が滅びてしまうと、言葉は死に不変のものになる。
死んだ言語を使っていさえすれば、学名の意味は未来永劫にわたって不変のまま
同じ意味を正確に伝え続けることが出来るわけ。
その辺に気が付いたリンネは、そう言う点でもすごい人。
もっとも、ラテン語はインテリ層の共通言語という下地もあったけどね。

科学は常に遅れてやって来る。
ゴドーさんのように来てくれそうでいて、なかなか来なかったりする。
で、野性の思考が科学の代わりを果たしたりする。
感覚は常に先に到着するって訳。
まぁ、間違ってることも多いけど、どの点は科学もどっこいでしょ?ひひ。
とにかく今現在を何とかしなくちゃならんときに、
臨終の床にあって、将来の医学の展望を聞かされてもはじまらんのと同じ気がする。


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