今日は東京に行った. 実は昨日からいろいろと当てが外れることばかりで,今日も閉館時間に間に合わなくて展覧会を見逃したりして落ち込みモードだった. せめて東京タワーでも見て帰ろうか・・・と思ったものの,田舎者の哀しさよ. どこに行けば見られるのかもよく判らない. あ〜あ,大人しく帰るか・・・とやさぐれて東京駅は八重洲口をウロウロしていたら,なんだかものものしい雰囲気. 片耳にイヤホン,襟元には桜のバッヂ,そして眼光鋭い男たちがたくさんいる. んん?なんか事件と思っていたら,公衆電話に「調整中」の張り紙が貼られたり, 新幹線改札から「銀の鈴」方面の階段付近の一角を徐々に人払いを始めた. それが終わると,青いロープと「指示に従って下さい」と書いたテープで広い通路が作られた. よほど急ぐ人以外は皆,誰が通るのかとワクワクしつつ携帯を構える. やがて姿を見せたのは・・・・
なんと皇太子殿下.
お一人であった. う〜む・・・テレビで観る以上に地味. 小柄なせいか目立たないお方. 周りのSPやお付きの人たちの緊張してギラギラした空気に,プリンスのオーラは掻き消されていた・・・. でも品は確かに感じられる. 目立つ人間になるよりも,ひっそりと品格を滲ませる方が難しいのかもしれない.
騒ぎの理由が分かって納得したので,すぐに新幹線改札を通り乗場に急ぐと,結構混む時間帯なのにすんなり自由席に座れた. 騒ぎの余韻に浸っていた人,完全にお姿が見えなくなるまで深追いした人は結構多かったようなので,そのおかげである. 週末最後にイイモノを拝めたことでも気分は高揚. (正直なところ,あまりに喜んでいる自分に驚いた) サンキュープリンス.
今回の上京の目的は東京都写真美術館. 戦前〜戦中〜戦後を生きた日本の写真家の写真の展示をしていた. 戦中に写真家たちが如何に政治に利用されたか,あるいは抵抗したのか,そして戦前と戦後を如何に生きたか,を12人の写真家の作品によって浮き彫りにしようという展覧会である. 今日は偶然『報道危機』という本を読みながらの道行きだったのだけど,何気なくタイムリー. 切り張りして戦車の数を増やした雑誌の見開き,玉音放送を聞きながら涙を流す(ように見える偽造を施された)少女の写真を見つつ,本の内容を思い出しながら,真実を見抜く目を養わなければ,私たちは日々の舵取りを間違ってしまう・・・と思った. さて,本日の総選挙の結果は,私たちをどこに連れて行くのだろうか(私は期日前投票済み).
11日が最終日のためオススメはできないものの,展示作品をほぼ全て収録した本が出ている. テキストが多く,それぞれの写真家のバックグラウンドを詳しく書いているのだが,報道写真家やジャーナリストを目指す人なら買って損は無いのかも. とりあえず今月の『芸術新潮』を見てみるべし. この日までの展示は,黎明期から現代までの写真作品を時代とテーマ別に4部に分けて展示するうちの3部目にあたる. 4部目はアート写真が中心になるらしい.
他には損保ジャパン東郷青児美術館とブリヂストン美術館に行った. どちらも建物の雰囲気がイイ.
損保ジャパンの方は,受け付けから美術館入り口までが展望フロアになっていて,オノボリさんにはなんとも楽しい. 晴れた冬の日にまた行きたいなぁ. 恥ずかしながら,つい写真を撮ってきてしまった. (防衛庁って案外建造物の密集地にあるのね・・・.) 展示の方もなかなか良かった. 「マリアの聖帯伝説」という独自の信仰を持つイタリアのプラートという街から招いた作品を展示している. 構図の意味や,聖人のプロフィール(笑),人物が持つ小道具の意味なども判りやすく説明してくれていて,仏教徒にも優しい. 宗教画初心者にはウレシイ. カタログのテキストも豊富で,学芸員の熱意がひしひしと伝わってくる.
ブリヂストンは,実は私は展示を間違えて行ってしまったのである. 青木繁展が見たかったのだが,今週末からであった・・・. ああ・・・. しかしせっかく来たのだから,という日本人根性丸出しで寄っていくことにした. 私としては,企画展より常設展の方が興味深かった. 想像以上に良かった. 何が良いって雰囲気が良い. エレベーター(あるいは階段)で上ってすぐの部屋は彫刻の部屋なのだが,ひたすら真っ白い部屋の中に,硬質の物体だけを置いた空間は静謐でとても落ち着く. (この部屋の隅にトイレがあるのだが,その部屋の一部だと思うと御不浄すらもリラックス空間に様変わりである) その先の部屋は絵画メイン. ルノワール,モネ,マネなどと,ピカソの非キュビスム的な作品が目に付く. ブリヂストン美術館の収蔵品は,戦前に日本の財界人などが買い集めたものが戦後の混乱期に散逸の危機に遭い,それを防ぐためにブリヂストンの創業者が買い取った品々だという. 日本人は昔からピカソと印象派が好きなんだな. 館内は10畳ほどの部屋がいくつも連なっているのだが,どの部屋も作品のテイストが統一されていて落ち着く. どこかに似てるなー・・・と思ったら原美術館に空気が似ているのである. 施設というよりブルジョアの個人邸宅に来たような気分になれる. ちょっとびっくりしたのは,エジプト考古物が少しながらあること. 戦前の日本人が手に入れるには莫大な費用がかかったのではなかろうか. しかも絵画に比べたら,それらを見て感心してくれるような理解者は少なかっただろう. 大した数寄者がいたものだ.
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