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[フィルクリエイティヴ]掌編創作物
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初 出:LOVER'S BRAIN(2)瞳
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SANAはその晩、2曲でステ−ジを切り上げてしまった。咽の不調を訴え丁重に客に詫びの言葉を告げ、すぐさまスポットの裏へと消えていった。
その後の俺は、ただ座っていることしかできなかったのではないか、と思う。思うとは、正直なところ記憶が定かではないゆえ。スピーカーからの大音量の余韻の中で、店の空間にある恍惚感と共存していたら、もう現実との境界線などあるほうがおかしい。酔ったという一言で片づくなら簡単なことだ。俺は酔っていた。SANAの醸し出す、すべてに発散されたエネルギーに酔いしれて、完全に陶酔していた。魂を貫くという例えを使うならば、SANAの歌でまさに心が打ち抜かれた。
カウンターの席は、正確にはステージとちょうど相反する向きにあった。だからSANAの歌っている姿をほとんど俺は見ていない。背中で彼女の歌を聴き、彼女は後ろから歌を浴びせた。
翌日、昨夜からの余響があまりに心に鮮明に残り過ぎて、もしかしたらその店は本当は無いのではないかとさえ不安を抱いた。陽のあたる時間の正確さに委ねて信じようと、わざわざ昼間に出向いたほどだった。夜とは趣きを変えているだろう、店の在り処をその通りまで確かめに。
そこで昨夜は気づかなかったが、店の入り口のメニューボードの下にSANAの写真とライブ紹介の告知が張り出してあるのを見つけた。
SANA' S LIVE → TUE & FRY / PM 9:30〜 & PM 10:30〜
ライトの下で見た彼女とは違い、フレームの中にいるSANAは少し童顔に見えた。昨夜の雰囲気からは30も超えていそうな貫禄があった。でもその写真からは26、7程度のまだ娘っぽさが残る顔だちが伺えた。凛として前を見つめる瞳には、曇りのない意志が強く輝いて映しだされている。彼女のその瞳は、今までに何度あふれ出て止まらない涙に濡れたのだろうか、と思いつき俺はふいに胸を痛める。
その週、SANAのいないとわかっている店に惜し気もなく通ったのは言うまでもない。あの空間に立ち返ることで、あの時得た恍惚感、躍動感、充足感、高揚感を同じに体感できた。体感したくて、俺は何度もその時の心境に身を置きくり返し味わった。
そして、金曜日はやってきた。
いつもの通り9時ごろには店の前に着いていたと思う。店へと下る階段を降りようとした時、気付いた。SANAがそこで待っていたことを。
誰を?俺を、か。
あの日のステージ衣装と同系色の濃紺のシャツとストレートのジーンズ姿にミュールを突っかけ、柱に寄りかかったままのSANA。俺には一瞥もくれずにマルボロに無造作に火を灯していた。
「SANAさん、今夜はステ−ジではなかったんですか?」
「あなたを待って、変えてもらった。」
「俺が、誰だか知っていたの?」
「知っているよ。私の歌で泣いた男。」
それから俺たちは街へとくり出し、たんまり酒を浴びた。馬鹿さわぎをしてはしゃいだ。10代の頃に戻ったように、ただただ、二人で費やすだけに委ねて夜の街を過した。
そんな時間はいくらあっても足らない。あっという間に朝もやに体を冷やして、温もりが恋しい時刻へと移ろいでゆくのだった。
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収納場所:2001年11月19日(月)