息子も、いつの間にか、もうじき6歳になる。
つまり、16年飼っていた犬が死んでから6年が経つということになる。 犬と入れ替わりのように息子が生まれたので我が家は深い悲しみに暮れる、ということもなかったけど 6年経ってもふと思い出しては涙があふれることがある。 息子は私以上に動物好きで、犬と猫を1匹ずつ飼いたいと一時期言っていたけど 世話すること以上に「もうじき死んじゃうかも」という恐怖を抱えた生活が怖くて自分はもう動物は飼えないと思ってる。 その点、人間の子供は寿命は長くて安心。(最近は安心出来ないが) 先日、息子の写真整理のついでに動画整理をしていたら 母の携帯のバックアップファイルを見つけ、犬の動画があってとても懐かしかった。 「まだ寝ないの?ねぇ、まだ寝ないの?」とウロウロしている犬に母が声をかけ、 母の言葉に犬が首をかしげて「なに〜?」という困った表情でカメラを見ているという、 生前よく見かけた母とのやりとりの動画だった。 (他の犬も同じかわからないけど我が家の犬は人間のように首をかしげる仕草をした) よくよく考えてみれば私は人生の大半を動物がいる環境で過ごし、 何なら動物のお医者さんの「ハムテル」のような環境で過ごした。 はじめは小1の頃だったか、祖父が3羽の雌鶏を購入してきて 名前こそつけなかったものの(どれだどれか見分けが全くつかない笑)学校から帰ってきては 毎日3羽と一緒に遊んだり、お菓子を食べて過ごしていた。(←ニワトリだって喜んでアイスクリームを食べる) 私は子供だったのでかなり長い期間のように感じるけどそれはおそらく2年ほど。 その雌鳥は祖父によってどこかに売り飛ばれ、そこから程なくして祖母が親戚からハスキー犬を購入。 けれどそのハスキーも到底老夫婦が飼える犬種ではなく、小5の頃に譲渡された。 が、やっぱり犬がいなくなって寂しい、という超勝手な理由で祖母が雑種をもらってくる…。 その雑種は私が二十歳ぐらいまで飼っていたんだけれど、 高齢の祖父も入退院を繰り返し、もう育てるのは限界だということで(祖母は面倒はみない人) 結局その犬もいつの間にかいなくなった。(譲ったのか保健所に連れて行かれたのか定かではない) 母は随分怒っていたけど、たしかに、今考えるとなんて無責任だったのだろうと思う…。 外で”番犬”として飼う生き物と、家の中で一緒に過ごす”室内犬”とでは 感覚が違うのだろうけれどそれにしたって残酷すぎて。 息子はペット欲を満たすべく(?) 庭で毛虫やらカエルを捕まえては虫かごに閉じ込めている。 最初は内緒で逃していたものの「帰ってきたら餌をやる!」と意気ごむ姿をみてしまうとそれも出きず、 息子も葉っぱやら捕まえたクモやら与えていたけどそもそも飼い方をしらないのでたいていは2,3日で死ぬ。 「お母さんのところへ戻してやりなよ」「お家に帰りたがってるよ」と私が注意することもあり、 カエルは見かけても捕まえなくなった・・・。 だが、毛虫はやはり捕まえてくる(生物的に死んでも罪悪感が少ないのかも…) 私は本当に嫌なのだが…。(私は一切ノータッチ) まぁ、、、いろんなことして成長してくれれば良いかな。 虫には悪いが…。 |