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2004年03月06日(土) 熊谷守一展@京都高島屋

某画廊@銀座の友人、すうクンからいただいたチケット。すうクンの画廊は、このヒトの墨絵淡彩画の鑑定を務めてるらしい。恥ずかしながら、どかはこのヒトの名前、いままで知らなかった。でも、送ってもらったハガキの絵は、確かに観たことあった。小雪がちらつく四条河原町、高島屋7階のグランドホールにて。

ほとんどこの画家に馴染みが無い観衆にも、容易な導入イメージ。晩年の30年間はほとんど自宅の外に出なかったらしく、作品のモチーフもごくごく限られた範囲のものだけ。そして「完成期」の作風はほぼ一貫している「ように見える」ことから、導き出されたコピーは、「超俗」「画仙」「孤独な画家」などなど。その画一的なイメージの打ち出しは、一般に広く流布する<芸術家>というもののステロタイプなイメージにかなり沿うものであり、アピール度も高いと思われる。

そしてこの場合、画家自身もそうした「超俗」な自らのイメージを創り上げていこうとする意図が見え隠れする。もちろん良い悪いの問題では無く。自らがあるイメージで他人に認められていきたいと思い、自らをプロデュースしていくことは、悪いことなんかじゃない。誰だって多かれ少なかれ、そういう戦略は保持し、日時遂行しているのだから。

どかがまずこの展覧会に感じたのは、画家が打ち出したかった神秘的なイメージを、展覧会主催者がそれを受けてさらに増幅し、そして会場に足を運んだ観客はそのイメージを嬉々として受け入れていったという、んー、あえて言葉に置き換えてしまうと「大政翼賛」的な雰囲気だった。そして、この雰囲気じたい、良い悪いという尺度で測られるべきではもちろんない(主催者側の見識は、ちょっと、疑問だけど)。

そして自分だけ良い子チャンしてても仕方ないから告白してしまうと、どかも、ちょっと前までなら。そう、1年くらい前までなら、こういう楽天的なイメージの打ち出し、例えば「画仙」なんてコピーに接すると、作品はさておいてもドキドキしてしまっただろうなと思う。なんかいいなーって。特別っぽいし。全ての条件を不問にした絶対的価値が天から降ってくるかのような。そういうの、いいよねーって。まだそこまで知名度が高くないのも、通っぽいし、芸術って感じのハイなイメージ、うんうん、みたいな。

でも、いまのどかの印象はちょっと異なる。

熊谷守一は、どか、とても大好きな画家。ちょっと、いままで知らないでいたことを不幸に思うくらい。日本人にもああいう造形感覚を持てた人間がいたんだなーと感心する。でも。だからと言って、熊谷が「超俗」であったとは露とも思わない。まして「画仙」なんていう神秘的に思考をストップして全てを止揚してしまうコピーには、彼の芸術の本質は無いと思う。どかは、彼のいわゆる「熊谷スタイル的」晩年の作品ではなく、むしろ初期から中期の作品が楽しかったし。江戸時代後期からダーッと「輸入」された西洋美術史の全部を、一身に背負って次々ハードルをクリアしていくかのようなヴァイタリティ、柔軟さ、独自性ではなく対話性。そこに、魅力を感じたし、その対話性は「熊谷スタイル的」晩年の作品のなかにも、通して常に息づいてると思えた。画家が臨むと臨まざるとに関わらず、それは作品のなかにあらわれてしまっているように思えた。

重ねて言うと、とーっても面白かった、久しぶりにこう、ズシッと手応えのある感触が残る展覧会をみた気がする。あの造形感覚はすばらしい。良い目を持ってたんだなあと思う。だからこそ。その感覚を磨いていく細かな研鑽と課程をある種の「全体主義」っぽい神秘的イメージで覆い隠してしまうことに、どかは違和感を感じていた。作品にではなく、展覧会に。まーでも、そういう分かりやすいイメージの打ち出しのほうが、アピールしやすいしなー、仕方ないのかなとも思うけど(…でもさ「画仙」なんてストックフレーズじゃ、あの中期の風景画の魅惑的な移り変わりの「質量」は、すくい上げられないよね)。

とにかく、個人的にとても、タイムリーだった。ちょうど「モランディ」を読了したところで、その筆者が、ジョルジョ・モランディという画家のリアリティを「画僧」という硬直したストックフレーズからすくいあげようと苦心していた作業が、生々しく残ってたからね。そう、きっと「日本のモランディ」って誰かが言い出してもおかしくないヒトだよね、熊谷サンは。その、神秘的なパブリックイメージ。「大政翼賛」的な受け入れ状況…。

あとは雑多な感想。付けられたキャプションの内容はともかくとして、出品された作品の質と量のすばらしさに比べて、あまりに展示スペースが貧相でもったいなかった。あの、作品を架ける壁の汚れや痛みは、作品を鑑賞するために集中するのを妨げるレベルだったと思う。もったいなし。このあとなんば高島屋でも開かれるようなので、なんばはちゃんとキレイだと聞いたので、もう一度行こうかなと思っている。

作品<水滴>が良かったなあ。


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