un capodoglio d'avorio
2003年12月25日(木) |
野島伸司「ウサニ」1 |
「飛龍伝」@青山劇場ツアーの帰りに、 JRバス「東海道昼特急大阪号」に乗車、 そのバスの中で読了、結構ゆっくりゆっくり少しずつ読み進めた。
まず帯につけられたフレーズが、かなり挑発的。
なぜ愛し合っているのに、男の子はみんな浮気するの
(野島伸司「ウサニ」帯より)
呆気にとられるほどストレートな命題がつけられたこの小説は、 処女作「スワンレイク」に続く、野島伸司書き下ろし小説第二弾。 前作の帯のフレーズ(上記レビュー参照)と比べると、 2つの作品のテイストの違いが鮮明になって面白い。 極めて思弁的で硬質な文体とテーマ、 高麗青磁のような冷たい手触りの「スワンレイク」に対して、 かなり平易で柔らか味のある印象、 李朝白磁のような温もりある「ウサニ」のイメージである。 しかし前作に比べると平易な文体であるからと言って、 内容が薄いかと言えば決してそうではない。 シンプルな主人公のモノローグが浮き彫りにしていくのは、 あくまで野島サンが追求する永遠のテーマ「愛の不可能」なのだから。
ストーリーは、かなり荒唐無稽。 荒唐無稽さから、でも、怖いほどのリアリティが立ち上がる。 主人公・コーゾーがアマゾンで捕まえてきた妖精が、 ウサギのぬいぐるみ・ウサニに取り憑いてコーゾーに話しかける。 2人は奇妙な恋愛関係になるが、ある日コーゾーの前に、 謎のセクシーな美女レーコさんがあらわれて、コーゾーを誘惑する。 コーゾーはレーコさんに夢中になってしまい、 ウサニはどうして自分が捨ておかれるのか理解できず・・・ というプロットを、コーゾーのモノローグで語っていく構成。 いろいろ悩みながらもコーゾーは「愛」についての思索を深めていく。
生物学的なアプローチがトピックとして登場するくだりは、 真田広之・桜井幸子の「高校教師」を思い出させる。 ただ今回はドーキンス「利己的な遺伝子」のような 具体的な出典は明らかにされないけれど、
通常、長くて四年サイクルと言われている つまり、四年もセックスすれば必ず受精できるから、 オスは飽きて他のメスにいくようにカリキュラムが組まれているのね
君は頭がいい
オスの愛は四年で飽きちゃうということね
(野島伸司「ウサニ」より)
という会話の中で、学会で発表されたという論文の内容が提示される。 また、「オス」に対して「メス」については以下のような言及がある。
メスは他のオスとセックスすると、 誰の子供か分からなくなってしまうという、 根元的なアイデンティティの喪失の危険がある つまり、本能的に浮気ができないような身体の構造になっているのだよ (野島伸司「ウサニ」より)
パッとこれらのフレーズを聴いて「なるほど」、 とすぐに納得する輩はいない。 もちろん作者も、この学説の提示を目的に、 わざわざ小説を書き下ろしたわけではない。 でも、ひとつの視点としての真実味はある気がする。
また、この生物学的なアプローチ以外にも、 「愛」と「愛着」の違いという点も、 モノローグの中で繰り返し重要なトピックとして登場する。 「愛」がヒトに対するもので「愛着」はモノに対するもの。 という一般的な区分を野島はあっけなく突き崩す。 男性が例えば可愛い顔やセクシーなプロポーションに惹かれることと、 例えばカッコイイクルマやゴージャスな時計に惹かれること、 一体、そこにどんな違いがあるというのか。 じゃあ「愛」とは「愛着」に性欲としてのセックスが結びついたものか。 けれどもその性欲を付加するとしても、 先の生物学的アプローチに拠るならば、四年間という限定がつく。 同じモノと接していると必ず「飽き」が来る。 同じ相手と身体を合わせることにも必ず「飽き」が来る。
「ぬいぐるみだから君を愛することは出来ないよ」というコーゾーに、 ウサニはそれは「イレモノ」にこだわってるんじゃないの、とただす。 結局それは「モノ」として対象に愛着しようという思想。 みんながみんな、「イレモノ」にこだわるから、 女の子はファッションに気を配りメイクにお金をかけプチ整形に走る。 男の子は社会的なステータスや年収という目に見える価値にこだわる。 そこには結局、「愛」はなく「愛着」しかないのではないか。 ウサニとコーゾーのダイアローグから浮かび上がるのは、 やはり「愛着」に拘泥していくしかないのかも知れないという諦観。
相手に感じるドキドキを大切にしたい、 という本能を肯定するにしても、 それは結局「愛着」に如かない。 「イレモノ」にこだわっているに過ぎない。 相手の外見にはいつか飽きるだろう。 他の相手とセックスしたくなるだろう。 じゃあ、真実の「愛」とは、永遠に続く「愛」とは、 どこにも存在しないんだよね? 「・・・うん」と答えてしまうしか、ない・・・ でもなぜだろう、どこか寂しい感じがする。
野島伸司は、この「寂しい」という気持ちから、 衝撃のクライマックスを立ち上げていく。
(続く)
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