un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年10月21日(火) one tone@南青山MANDALA

4ヶ月ぶりのone tone、青山でのライヴ。
復活基調とは言え、まだ本調子ではないどかだけれど、
one toneの音を聴きに行くのは不思議とココロが軽い。
キライな銀座線に乗らなくちゃだとしても。
キライな人混みの中にいかなくちゃだとしても。

着いて、予約特典のデモCD-Rをもらい、vo.のちなつ嬢と再会。


  いやー、あいかわらず緊張していて・・・

  やーぼけぼけ聴いてるから気楽にねー


などと話しつつ。
one toneの音楽は、決して、安逸な予定調和に落ちていく音ではない。
けれども、そのベクトルはオーディエンスの胸に突き刺さりもしない。
スゥ・・・っと二次曲線を描いてどかのココロに寄り添い、
けれども重ならず、そのまま少しの間だけ併走していく2つの感性。
二次曲線が包含している運命のために、その併走はごく限られた間だけ。
そのわずかな時間に触れることの出来るone toneの福音には、
ウソを動力にして回る「J-POP」ベルトコンベアーに乗っかる、
「計画された接続」は見当たらない。

どかはいま「ぼけぼけ」を欲しているけれど、
それはウソにおぼれた「ぼけぼけ」じゃあないのね。
ウソにおぼれた「ぼけぼけ」はただの、敗北だ。
じゃあ、何に勝利したいの?
と聴かれても困っちゃうけど「ウソな接続」よりか、
「ホントな拒絶」のほうが、ずーっといいな。
だって、それで相手を嫌いになったとしても、
まだ相手を信用したままでいられるんだしさあ?

というわけで今夜も、
相変わらずどかを「ぼけぼけ」させてくれるいいライヴだった。
バンド編成は初めて見る、うん、かっこいいねー。
どかがone toneに持っていたイメージと随分違って(当たり前だ)、
「オッ」とか思ったけど2曲目あたりから、身体がなじんできて、
力が抜けて、脱力モードに突入するどか、スプモーニがおいちい。

なんか意外だったのが、バンドで演奏したほうがより、
繊細で美麗なギターの音色が際だって素晴らしく思えた。
アレンジが上手いのかなあ、でも、あのアルペジオなキラキラ感は大好き。
相変わらず、ギターのゆうやクンの右手に見とれる。
優雅に動く指の残像に、ドキドキする(フェチか?)。
その残像から実際の音色が届くまでに、わずかな時間差がある気がして、
でもその時間差が、ライヴの贅沢なんだなーロマンだなーと思う。

ちなつ嬢もだんだん声がハコに馴染んでくる。
今夜もどかの大好きな(大好きな!)<君のところへ>をやってくれて、
イントロが鳴った瞬間、少し、泣きそうになる。
ボーカルの発声がメロディに少しだけ遅れておっかけてく感が、
歌詞や曲調にとてもふさわしくて、
ひとつのシーンがどかの目の中に再生される。
ビジュアルイメージを強く喚起させるボーカル、
という意味では、全く違うタイプだけど、
ハイロウズのマーシーみたいね、何が重なるのか、分かんないけど。

歌は、進む。
そして二次曲線上のちなつ嬢とゆうやクンは少しずつ近づいくる。


  one toneは時間性の中で音を鳴らすことを決意してるんだなあ


と、心底、納得しつつ、離れていく二次曲線上の2人と、
消えていく最後のギターの余韻を、泣きそうになりながら見送った。
どかがぼけぼけしてる間に受け取った福音とは、
また街の喧噪へと、井の頭線のラッシュへと戻っていくどかの、
その涙におされた烙印であり、
その涙をココロに貯めてまたがんばんなくちゃだわ。
どかは時間性を、じつはとっても苦手としていて、
そんなところを、しっかり踏ん張って立っているone toneは、
やっぱり好きだなと、思う。
これが今夜の発見だった。

などと思ったりして。
でも何に癒されたかって、演奏終わって速攻バーのカウンターに行って、
ビールのジョッキを手にして嬉しそうにクチをつけてたゆうやクンだった。
ホッとしたようなかわいい笑顔(ってか本当にビール、好きなのね)。

でも、久しぶりでしたね、おふたりさん。

また、何かの機会にご飯でも食べましょう・・・



↑one tone@南青山MANDALA


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