un capodoglio d'avorio
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2003年09月30日(火) 津田雅美「カレカノ(15)(16)」

実は14巻を読んだあとのレビューで「よし買う、15巻」と締めたものの、
読み返すほどに14巻の構成の乱れや有り体なネーム、
テンションの低さに嫌気がさして読むのもーやめよー・・・って。
でもね、15巻と16巻が書店に並んで平積みになってるの見て、
「コレが最後だ」と決心して、買うことにした。

したら「おお、なかなか持ち直したねー」って。
依然、構成は緩いところが数カ所あるし、テンションの持続も上手くない。
深層心理へのアプローチも取材や勉強が不足しているし、
タルイなーって思わないでもない。
でもそれはきっとどかの比較対照が、岡崎や望月、松本といった、
スーパースペシャルな生粋のマンガ家であるからだろうとも思う。
「カレカノ」だって、連載されてる雑誌のなかではやっぱり一級の作品だし、
「リバーズエッジ」や「バタアシ金魚」を頭から外せば、
じゅうぶんこれだって楽しめる作品の域だよねーって。

ありまの苦悩は、あまりリアリティが無い気がする。
どかは河合隼雄の著作は大体読んできていて、
そこから得た知識でしか測れないけれど、
いわゆるトラウマはあんな顕れ方はしないことだけは分かる。
まあもともとあのキャラクターがあまりにガキすぎて、
感情移入出来なかったことはあるのだけれど。

でも、ゆきのんはかっこよかった。
「分かり合えると思ったけど、やっぱり無理だった」
という展開は、唯一、どかが「あ、秀逸ね」と思ったポイントだった。
ありまのネームが甘さやタルさをにじませてしまうのとは対照的に、
ゆきのんのネームはピリッと緊張感があって、
しっかりものがたりを前に進めている。
ゆきのんには感情移入、出来るな、うん、らぶ。

そして、何と言っても、あさぴん!!
カッキーっ。


  やっぱり最後はおれひとりになっちゃったなぁ・・・
  (津田雅美「彼氏彼女の事情(16)」より)


と、窓辺にもたれて寂しそうに目をつむる浅葉・・・。
ラーブーっっ。
そしてゆきのんが、


  なのに浅葉がひとりになっちゃった
  わたしきっと浅葉の役にたてないよ
  ごめんなさい
  ・・・けどひとりにはさせない
  わたしはずっとそばにいるから
  (津田雅美「彼氏彼女の事情(16)」より)


って。
キャー、ゆきのーんっ、キャー(何故か興奮)。
いいなあ、いいなあ、こおゆうのおっ。
<ありま・ゆきのん>より<あさぴん・ゆきのん>のが、
ずっと映えると思うけどな、コンビとしてさあ。

ああ、イイオトコだよなーこれー。
あさぴんみたいになりたひっす。
日々、精進しなくちゃだねー。
「オトコのフェロモン道」はきびしーっすねー。


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