un capodoglio d'avorio
2003年07月26日(土) |
岡崎京子「ヘルタースケルター」追記 |
少しだけ追記。
絵。
本気で、すごいことになってる。 作者の「直し」が入れられない状況だから、 連載当時のまま、時に雑ともとれるような線の乱れもあるけれど、 一気呵成に読ませるコマ割りの構成力。 映画のワンシーンかのようなショットバック。 クローズアップで映しとられた絶望とテンション。
このりりこの物語にとてもふさわしいスピードときらめきが、 ひとつひとつのコマに溢れていて、奇跡的ですら、ある。 この絵を「雑だからキライ」と言い切ってしまうヒトの、 救いようのない不幸をどかは声を大にして言いたい、くらい。
どかが普段から思ってることを、まさにこれ以上ない適切なカタチで、 表現してくれた、そう言うことなんだと思う。 ズバリ、本当にビンゴで言い表されたから、なかなか、 ショックが大きくてうまく感想が出てこなかったんだな、きっと。
ともかく、どかは、りりこを、全肯定する。 全肯定、出来ると思う。 これまで生きてきた時間のほとんどを裏打ちとして、 彼女の、あの、壮絶なクライマックスを肯定するよ、 うん。
ネタバレにも程があるから、クライマックスの内容は書かないけど、 ほんと、一度、読んでみて欲しい、すごいから。 そして、頭で明らかにかき鳴らされるりりこへの「拒否反応」と、 目と胸で、相反してどうしようもなくりりこへ惹きつけられる「憧憬」とを、 ぜひぜひ、体験して欲しい。 その相克のなかから、きっと、 いまの自分を取り巻く透明のもやを燃すことが出来る、 小さなライターが手に入るのだから。
止まっちゃいけない 進むのだ 進め! もう始まってしまっているのだ (岡崎京子「ヘルタースケルター」)
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