un capodoglio d'avorio
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2003年02月26日(水) ウィーン美術史美術館名品展@京都国立近代美術館

昨年の暮れに行こう行こうと思っていたら会期終了で逃してしまった展覧会。そのあと京都に巡回するはずだから、捕まえてやるって思ってて、捕まえた、きょう。京都国立近代美術館は東山にあるの。京阪三条駅からポチポチ歩いて15分くらいで着いた。

予想通り、人はあんましいなかった。先だっての「大レンブラント展」と比べたらやっぱりインパクトが違うものねえ。ボリュームも、あんまし無かったし。ウィーン美術史美術館と言えば代名詞なのが「ブリューゲル」なのに、それもほとんどなかったし。


でもそうかといって、どかがほとんど期待もしないでわざわざ京都の盆地に降り立ったかといえばそうではなく、どかの目当ては「ベラスケス」の肖像画、二点、それのみ。ベラスケスが観られるんなら、多少のコストは払うさ、うん。と思ってたら、最初にわぁすごいって立ち止まったのが「デューラー」やった。


●アルブレヒト・デューラー <若いヴェネツィア女性の肖像>

ドイツ美術史上最大の巨人、デューラー。どか的にパッと思いついたのは去年観たレオナルドの<白貂を抱く貴婦人>。それぞれモデルの上半身のみを区切った構図でどちらも美人サンなモデルで。デューラーの細密描写の的確さはすさまじく、圧倒的なデッサン力とあいまって昨今のウルトラリアリズムと見まごうばかりのカンバスの密度。普通、ディテールを細かく細かくつめていくと、細部が際立つばかりに全体のイメージがばらばらになってしまったりするんだけど(それが味になる時もあるけどさあ、ホルバインみたいく)。でも、デューラーは本当に基本に立ち返った精度の高いデッサンと、さらに全体を見渡す統一感あるセンスでもって一つの傑作に集約させた。すごいなあ。だって、きれいだもん、このヒト。実際にモデルが誰かは特定できないらしい。でも本望でしょ。自らの「美」のみに拠って後世へと自分のイメージが伝えられていくんだもん。名前だのお金だの仕事だのそんなんじゃなくってさー。バロック特有のぼやけた感じもなく、ルネサンス特有の硬直した感じもなく、その中間で奇跡のバランス。レオナルドに肉薄する美しさ。


●ヴェロネーゼ <ルクレツィアの自害>

これも、ちょっと、良かった。もともとヴェネツィア派ってば苦手だったどか。なんだかチョデカな作品多いし、そこにはちきれんばかりの肉体と色彩がぐるぐる渦巻いて、テーマも奇跡だの悲劇だので、目が回るから(もちろん、それが味だというヒトもいる)。ヴェロネーゼはヴェネツィア派を代表する一人。でも、この作品はチョデカくなく、人物も短刀を自分の胸に突き立てる女性が一人。いや、ぽやっと見てるとこれが自害のシーンだとは気づかないくらい「フラット」に描かれてる。美しい女性が何か悩んでうつむいてるくらいに見えるだろうな。どかがホワーっと見とれたのは画面全体の色調の美しさ。深い暗い緑を基調の色面、ルクレツィアの白い肌、ブロンドの髪、金色に光る装飾品に、短刀の束がまぶしく映える。中央右に彼女のものと思われる明るい緑と白のストライプのストールがかかっていて絶妙のアクセント、右上のカーテンには深い緑の文様の中に淡いパープル、それが悲劇の血を想起させる。ヴェネツィア派の面目躍如、さりげに見せる色の魔法。


●ディエゴ・ベラスケス <青いドレスの王女マルガリータ>

・・・そうして時間がとまって、真空の中、どかの認識は拡散し始める。まだあどけなさが残るマルガリータ王女の顔に合っていたはずの焦点は、画布のはるか向こうへと飛んでいき、カンバスがそのまま、どかの視界を占めていく。・・・次の印象は、まず、青だ。ビロードの質感あふれるツヤと色合いの変化、いつ終わるともしれない永遠のグラデーションに表現されるのは光、そう、ここにはきちんと、光がある。光、がそこにあって、とどかないところは、グレー。モノトーンの諧調。やみくもに黒く背景を落とすのではなく、あくまでインテリアの描写をした上で無限のモノトーンの諧調のなかに沈める技法は瀟洒。暖炉の上に見える(おそらく)獅子の小さな置物がうっすら白く、グレーの水面に浮かぶ。この「白」はまさにここになければ全体のバランスが崩れてしまうクリティカルなポイントだ。そうして再び、王女の顔に戻ってくる。頭に大きく目立つ黒い髪留めは獅子の置物の白と対比をなして、シーソーの原理。美しく輝く白い肌にブロンドの髪、赤いくちびる、全てが光の存在を全肯定しており、そのリアリティは十全の保障。

ベラスケスの絵を楽しめるようになったのは存外遅かったどか。だって、一見、普通やん、別に。ウルトラリアリズムというわけでもなく、印象派みたいく光の粒子がダンスしてるわけでもなく、バウハウスみたいく知性のオーロラが揺らめくわけでもなく、ルネサンスみたいにカッコたる構築美があるわけでもない、普通に、自然なだけ。でも、ある日「ああ、私はこの絵が、心底面白いっ」と思った瞬間のことはすごい忘れがたい。一気に頭と目からかすみが取れていって、無限の地平線がばばばーっと広がる爽快さ。その「普通に自然なこと」が、なんと特別なことなのだろう。写真よりも「自然」な描写、それはフェルメールに少し似てるけれど、フェルメールの「自然」さとはまた違う。ああ、どかは表現力が足らなくて、その先を文章には落とせない・・・




上記三点以外にも、ベラスケスのもう一点の肖像画や、伝カラバッジォの作品、伝ジョルジョーネの作品などが心に残った。展覧会全体としてはあんまりカッコたるイメージを打ち出せてないけれど、どか的には上記理由において、オッケエだったです。

しらかわ沿いに東山の裏道をぽちぽち歩くどか。はあ、お腹すいたよぉ。体力余ったら何かお寺まわろかなと思ったけど、けっこう疲れたので、まっすぐ帰ることにする。ん、お寺じゃないけど、いい感じだし、このへん。


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