un capodoglio d'avorio
2002年12月18日(水) |
大阪日誌6日目(春日若宮おんまつり・司馬遼太郎記念館) |
春日若宮おんまつり
・・・というわけで、17日水曜日の17時半ごろに近鉄奈良駅下車。あたりは既に真っ暗で、駅前に出ていた出店も片づけ始めてた。人の流れに乗っていけば、と思ってたけどそんなに人も多くなくて、とりあえず春日大社へ向かって歩き始める。1キロほど歩いて、奈良公園内をとぼとぼ一人。周りに人影無し。真っ暗闇。鹿の声すら聞こえない。ああ、懐かしいなこの感じ。怖いけど、わくわくする、テンションがあがるけど、それを抑えてしまう感じは「百粁徒歩」だ。
なんてひとりごちてたら、能管みたいなメロディ、鼓みたいなリズムが後ろの森の奥から聞こえた。あわてて引き返して、音のする方へ小走りで行くと・・・あった、ここだあ!
若宮おんまつりは天押雲根命(あまのおしくもねのみこと)をまつるための大祭。平安時代第75代の崇徳天皇のとき飢餓や疫病が続いて国民が苦しんだ際、関白藤原忠通公が若宮の御祭神をお旅所へ移し、大和の国の崇敬者と共に五穀豊穣、天下泰平を祈ったのが始まり。以来860年以上絶えることなく行われ続けたとのこと。今夜(12/17)は、お旅所にお祭神を移すお渡式は既に済んでいて、お旅所の前の清められた舞台で夜もすがら、様々な古典芸能が奉納されることになっていた。
そういえば以前、ICUのSr.の授業で「民族音楽学 ETHNOMUSICOLOGY」を取ったんやけど、そのときはまだ伝説的に素晴らしかった先生、ネルソン氏がその授業を担当していて、で、ネルソン氏が「一度、奈良の若宮おんまつりの舞台は観に行った方がいいですよ」って(英語で)言ってたのを、この場に着いてから思い出す。ん、ラッキーやわ、私ってば。
荘厳な雰囲気、一段高いところに組まれた社の前に、盛り土をしてこしらえた舞台、脇にいくつもかがり火が焚かれており、周りの森の静けさもあって一種異様なテンションが張りつめている。目立つのは雅楽に使用する大太鼓が二つ一組、そびえ立っていて、その後方に雅楽の楽隊が控える小屋がある。どかが着いたときにやってたのは<猿楽>。囃子方の構成は能っぽいのだけれど違うみたい。能管、鼓、囃す声が心地いいの。舞い手の衣装はきわめてシンプルな白装束で、見物客に対して演じるのではなく、あくまで舞台奥の社に向けて奉納されているのを、私らが眺める構図。
次に、大太鼓の重低音バズーカーとともに始まったのが<東遊(あずまあそび)>。舞い手は四人一組になって対照的に動き、それに合わせられるのが雅楽の音楽。笙の音が森の奥に吸い込まれていく感じ、鳥肌が立つ。ゆらめくかがり火の炎、ここはいったいどこなんだ?グッと腰を入れて舞い手が重心を下げていくときのフリが格好良かった。衣装も豪華、かっこいい。
↑これは<東遊>、奥に先に出た舞い手が既に舞台上、これからこの人が出陣・・・
↑これも別の<東遊>、大太鼓がかがり火に映えて一種異様な迫力
そして<舞楽>、いわゆる雅楽とともに奏せられる舞というイメージが強い。面を着けた舞い手が手にとりものを持って舞納めていく。一段と冴え冴えとしていく雅楽の拍子。んー、至福の瞬間だわ。暗闇が暗闇としての機能を備えていると、炎に照らし出される全ての存在が愛おしく思えてくる感じ、しかし・・・
寒さが限界に達していた。どかは元々日中京都に行って、そのまま大阪に戻るつもりだったので、摂氏3度の奈良の底冷え対策はしてなかったのだ。<猿楽><東遊><舞楽>と続けてみてすでに二時間半、立ちっぱなし。喉が痛くなってきて寒気がとまんないので、やむなく帰宅の途に着く。あー、まだまだ夜はこれからで、まだまだ奉納されていったんだろうなあ、惜しい。
でもあの、暗闇と炎と音楽と舞と社。その五つがそろった空気は、いかんともしがたい「説得力」がある。こおいうのが、究極のライブだと思うの、どかは。
司馬遼太郎記念館
明けて18日、昨日の後遺症か鼻がズルズル。昼過ぎからのんびり歩いてでかける。実は司馬遼太郎は、どかぽんの実家から歩いてすぐの所に住んでいたのだ。昔は司馬さんが犬の散歩してるのとすれ違ったりして、勝手に緊張などしたりしてたの。今、そのお屋敷は司馬遼太郎記念館となっていると聞いて、ポチポチ歩いて出かけてみた。
どかはかつて中学二年生から三年生にかけて、司馬遼太郎にガツンとハマった時期があった。長編は大体読み切っているはず。一番のお気に入りは「龍馬が行く」でも「燃えよ剣」でも「花神」でも「坂の上の雲」でもなく、ダントツで「峠」が大大大好きなのさ。鶴橋のホームの焼き肉くさい煙の中、中学生だったどかは一人涙ぐんでしゃがんで「峠」を読んでいたね、そういえば(それはまた、別のはなし)。
で。
実は、この記念館、すごかった。期待以上に。だって普通、作家の記念館ってばそんな楽しい場所とちゃうやん?生原稿が大仰に展示されて使ってたペンとか椅子とかが置いてあってそれだけ。なんてパターンやん、普通、つまんない。でもね、ここはすごいぞ。何と言っても設計が、あの天才、安藤忠雄だ!・・・司馬さんのファンだけじゃなくて安藤ファンも、日本全国から訪れる「聖地」となっているらしい。確かに、問答無用で格好良かったの。
↑もういかにも安藤さんっぽい「ガラスの回廊」、瀟洒の極みやなあ
司馬遼太郎記念館の目玉は「大書架」。地下一階のフロアから地上二階までのスペースを吹き抜けとしてぶち抜いて、高さ11メートルの壁面いっぱいに書棚が取り付けられ、生前司馬さんが自宅に所蔵していた二万余冊もの蔵書がイメージ展示されている。見上げれば全てが本、本、本。周囲も全て本、本、本。それも司馬さんの作家としての嗜好に沿った資料なのだから、説得力もある。
月並みかも知れないけど「宇宙」なんだろうなと思った。一人の人間の脳みその内側ってば、開示してみるとこんなにもスケールが大きくて、光り輝くコンテンツでいっぱいなんだ。小さいヒトのなかには大きな大きな宇宙がある。司馬さんはその小さな身体で、小さなペンで、淡々と大きな、本当に大きな流れをつかまえてみようと物し続けた。いま、小学校六年生の国語の教科書に掲載されている「21世紀の君たちへ」という作品のディスプレイもその「大書架」にあった。27歳のどかにとっても普通に心にしみる文章だ。簡単で当たり前のことをまっすぐ、滋味あふれる筆致で綴ったその作品は、どれだけ子どもたちに届いているのだろうか。
ともかくも、よく分からなかった子どもたちも、ここの「大書架」に連れてきてやりたいと思う。安藤忠雄の尽きせぬ天才と、司馬遼太郎の飽くなき想像力が、絶妙にマッチして生まれたこの奇跡の空間は、ありとあらゆる悪い流れを変えていく力があるんじゃないか。と、そんな錯覚さえ覚えさせてくれる。お金、すっごいかかってるんだろうな、この建物。ガラスの回廊や白いステンドグラスも、とてもすてきだもの。でも、お金は、こういうふうに使うんだよっていう、イイ見本だ。かつて湯水のように金箔を使った尾形光琳のように、お金だって上手に使えば「悪趣味」じゃない「趣味」になるのだ。
にしても、あの「宇宙」はすごい。外側の世界と内側の自分、ユニクロのリバーシブルのように、ひっくり返してみることのなんと圧倒的なことなんだろう。現代美術のコンスタレーションと呼んでも何ら遜色ないくらい、すてきな空間。安藤忠雄の代表作の一つに入れてもいいくらいだ。これから帰省するたびに絶対行ってやろう。
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