un capodoglio d'avorio
2002年07月22日(月) |
蜷川幸雄「オイディプス王」2 |
もう一つの理由は、悲劇とうもの自体が私にあっていないのかなと思いました。 オイディプスが一つ一つの事実で追い詰められていくのは、やはり息が詰まります。 全編を通じて流れる重い雰囲気に耐えられないと思いました。 これは、私自身の問題なので、作品には関係ないのでしょうが・・・
結局この舞台の最大の失敗は演出です、非現実的な空間を冷めた目線で見てしまうのです。 東儀さん、万斎さんがもっている雰囲気は現代劇、そしてギリシア悲劇の場では異質な存在です。 だからこそ、舞台上ではその異質な存在が非現実の空間を創るのであると期待していました。 また、私が感動した蜷川作品は、シェークスピアと中国の京劇の融和がなされたものでした。 この作品では、一つ一つの要素が素晴らしいだけ、全体が宙ぶらりんでした。 普通の現代劇の役者以上に、万斎さんは彼自身の雰囲気を持っています。 その魅力が引き出されていないので、彼を使う意味がなくなっていたように思います。 その異質さだけが際立って舞台に入り込めませんでした。
日本代表がトルコに負け、サポータがたまってる渋谷を歩く帰り道、悲しくなってきました。 大好きな蜷川、万斎さん、東儀さん合作の舞台を見て、感動しない自分が悲しかったのです。 田舎の高校で演劇をやっていた時代、東京の演劇に憧れ本やビデオで最新の演劇情報を集めていました。 時代遅れの脚本に固執する高校演劇が嫌で新しい演劇をやってみたいと思っていました。 大学に入り、野田秀樹をはじめとする派手な演出の舞台に魅了されました。 評論なんてせず、ただひたすらうっとりしていました。 そんな、わくわく感を自分はなくしてしまい、 プチ評論家になりさがってしまったのかと愕然としました。
しかし、いつまでも同じ自分であり続けるということは不可能です、そしてやはり私は舞台が好きです。 いい役者、演出家、音楽家の舞台だからと言って、 それだけで感動することが出来なくなった自分とこれから付き合っていかなければなりません。 どかさんからのお話に乗ってこの感想文を書こうと思った動機もそこにあります。 自分が今からどんな風に舞台を楽しみたいのか、それを探るために面白くなかった原因を書きました。 そしてその答えはまだでそうにありません。 でもきっとこのままの宙ぶらりんの気持ちでこれからも舞台を見に行くことでしょう。 こんなつれづれな感想を書くきっかけを与えてくれたドカさんに感謝します。 長くなってしまってごめんなさい。 最後まで読んでくれた人、お付き合いいただきありがとうございました。
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1 この日記帳システム上、一日のページに載せられる字数に制限があるため、 二日に渡って掲載しました。 2 上記制限により、句点を数カ所変更しましたが、それ以外は全く校正・変更はしていません。 3 とてもいい劇評だと思いました、感服です(どか)。
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