un capodoglio d'avorio
例えば何でもかんでも合理化すること。 合理化とは人を省きお金を省き労力を省き時間を省き、 何でも省いてしまって、 表向き何も省いたように見せないこと、 それが評価の対象。
でもその省かれた人やお金、労力や時間は、 一体どこにいくのだろう。 だれかがちゃんと責任を持って供養するのだろうか。
省略するためにあくせく時間を使って、 まあ、そういうのを強要するのがつまり、 会社というものかもしれないけれど、 省略することを一生懸命頑張っているうちに、 どんどん自分の人生が省かれていってしまう。 それは「引き算」の考え方。 どかは「引き算」よりも「足し算」や「くく」の世界がいいな。
「階段箪笥」や「船箪笥」を作っている、 岩手県在住の古家具職人の工房にはさり気なく、
「省略しない」
のはり紙が自らへの戒めとして張ってあった。
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