un capodoglio d'avorio
理想主義を掲げて「この一線だけは何としても守らなければならない」、 そう心に誓って日々を過ごすことを決心した日が過去にあったとして実はそれは、 同時に「挫折」と「困惑」にまみれ搦め取られる日がいずれくるという自らの運命を受け入れる日でもあるのだ。
往々にして若い志を抱いて、言葉の自動性に酔う理想家は、 自らの内の言葉が無力になるその瞬間を知らないで、 本当に気楽に最初の一歩を踏み出すのだ。
私は私の外側からの蹉跌にまみれてそれでもなお先の時間を見てみたくて、 自分の心の「一線」を、それは実はただの「かたくなさ」に如かないのだけれど、 それのみにすがることを決意し進んで来たものの結局、 真の蹉跌は内側から全てを酸化していってしまうのだ。
久々に自分の欺瞞に嫌気がさしたけれど、でもまだ、足腰は大丈夫。
おうよ。 絶対、足拍子は止めないさ、うん。 ごめんなさい、でも大丈夫・・・
人は誰しも取り返せない時間、取り返せない事実があります。 そしてまた誰しも、過去に戻ってもう一度やり直すことはできないのです。 でもその時間に、その事実にその後どう対処するかで人の価値は決まるのです。 <「娘に語る祖国」つかこうへい>
まだまだ時間はたくさんあって、変えられない時間以外の時間のなるたけたくさん、 いい色の時間にできるよう、努力、しなくちゃなんだ、きっと。
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