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2002年07月26日(金) 教師という職業

今ごろになって自分のやりたいことは何なのか?
とよく考えています。

今日の日記は自分の考えをまとめるために書いたので
長いし、まとまってないし、おもしろくないと思います。

<ほんまにおもろないでぇ。読まない方が・・・

大学は教員養成課程の家政専攻でしたが、
入学当初から教師になる気はありませんでした。
教育者として、生徒と関わっていく自信がなかったからだと思います。

教師は児童・生徒に多かれ少なかれ影響を与えます。
わたしが小4の時の新任の女の先生は、
いろいろあったのでよく覚えています。
当時、学校にあめやガムを持っていって食べるというのが
はやっていたのですがある日先生にみつかってしまって
指導室みたいな部屋に呼び出されました。
そこでこっぴどくしかられたのですが、
今でも忘れられない言葉を言われました。
「あんたたちはゴキブリよりきたないよ」
学校でお菓子を食べただけなのに、
小学4年生の子どもたちにいう言葉ではないと思います。

当時の先生は23歳だったから今のわたしと同じ年齢でした。
同じ年になって思うけれど、感情的にならないで対処してほしかったです。
先生の未熟な面を子どもなりに感じていたのか
反抗的な態度だったので、テストはできても成績は悪かったです。

弟の担任は、県庁の職員が第一志望だけど、
なれなかったからとりあえず先生をやっていると公言してたそうです。
クラスで何か問題があっても、「俺は来年県庁に行くから関係ない」
という態度だったそうです。
弟はそんな先生とは合わなかったらしく、
それまで正義感があって素直だったのに少し曲がってしまいました。
クラスをさんざん引っかきまわして、
後のケアもせず翌年県庁に入りました。

教育と家庭科、どちらもそれぞれ興味があるのに
学校の家庭科の先生を目指していないのは自分でも変な気がします。
やりたいけど、今の自分にはとても責任が重くて
できないというのが本心なのだと思います。
考え方もしっかりしていて、人間ができているいい先生はたくさんいます。
しかし、先に述べたようにいい先生ばかりではありませんでした。
影響を与えることを考えると、やはり人間的に成熟していないと
教師にはなってはいけないと思ってしまいます。
とりあえず教師になって、児童・生徒との関わりの中で、
試行錯誤を繰り返し、一緒に成長するという選択肢もありますが
教師を育てるのに児童・生徒が犠牲になるのはどうかと思って。
長い教師生活の中ではその期間の一部にすぎないかもしれないけれど
児童・生徒にとってはとってかえることのできない時間なんですよね。


塾の先生をしていて思うけれども、しかり方が難しいです。
勉強に飽きてしまって、遊び始めてしまった時、
「ちゃんとやりなさい!」と怒ることは簡単です。
でも、なぜ勉強をしなければならないのか?
勉強をすることはどのような意味があるのか?
などの答えを自分の中に持っていないと、
ただの押し付けになってしまって、生徒達には伝わりません。

生徒のことを想ってないと、しかれないです。
怒ることは怒りを相手にぶつけることです。
それでは、生徒達のやる気をつぶしてしまいます。


今のところは他の教師に学校教育はまかせるけれども、
ちゃんと準備ができたら自分がやってみたいなと思いました。
家庭科は生きる力を育てます。
生活していく中で必要なことはすべて扱うので、
大切なことが学べる教科です。
家庭科を学ぶことは生きる力を学ぶことです。
そんなもの習わなくてもできるとか、やろうとすればできるとか
家庭科なんて学問として成立しないなんていっている人たちが
案外自分ひとりじゃなにもできなかったりするんですよね。

自分のペースで準備をしていこうと思います。
3月に臨採の話を断ったけど、今ならできそうです。
今年も教採受けてないから、話が来ないだろうけど
来たら今度はやってみようと思います。



頭の中で考えていても、いざ書いてみると難しかったです。
(全然まとまりのない文章ですね。 ._.)
教育のことを考えていると止まらないです。
やっぱり自分が興味を持っていることなんだということがわかりました。


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