行動ログ。
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ほんっとに悔しくて、思わずブラウザを立ち上げてしまった。 面白いとか物凄くためになるとか、洗練された表現とか言い回しとか、そういうのを文字として見ても、今までは決して悔しいという感情は抱かなかったのだけれども、今回ばかりは別だ。 はっきり言って、悔しい。
何が悔しいかとか何を感じたとか自分はどうしたいんだとか、そういうのをここで書くと長ったらしくなるし、かつあんまりな思考回路なのでやめておきたい。 ただ、この「やられた」感だけは、伝えたかったの。
うーん、上を見てばかりだと、自分のことが分かんなくなるっていうか。 上方、イメージ的には視線を30°上げて、視野を左右150°程度に保った状態を続けてたという感じですかね。頭頂から20°くらい後方の空間も意識を行き渡らせる感覚で。 その空間(じゃないな、コロニーって言う方がしっくりくる)に存在するモノ(人間でも物でも情報でも)は刻々と変化してて、それは大抵単純化とか抽象化とか(もっと具体的に言うなら発展・進化?)を実現したグループなんだけど、ずっと無意識のうちに私はそれらを観察することに重点をおいてたのだと。 あー多分またここで現在の社会は複雑化、具体化に傾いてるんじゃないのかとか言われそうだけど、私としては大枠を見たら結局はそっちへ流れ着くと考えてるだけです。 注釈が多いな、今日は。
で、自分を捉え直すことが必要だと思ったということで。 変化してるから。いいか悪いかは知らないけど、以前とは違う。 些末な変化でも修整(あえてこっち)するんだったら、瞬間ごとに違うんだろうけれど。そんな時間の概念は維持できないし。 たまにはそういうことも考えるけどさ。
最近森鴎外を読み直しているのも、実は気紛れに読み返した文庫が思いの外新鮮だったから。 あー、あの時と違うんだなぁと。第2次ブーム到来の予感です。 最初は小6だっけ?偉いさんが大量に学校図書館に寄付してくださった中に森鴎外のシリーズがあったんですよ。で、私はその文章に惹きつけられたというわけ。内容よりも、文章が好きだった。綴り方っていうのかしら。 ちなみに叙情的といわれる作家さんはわりと不得手だったりします。 いや、読み物としてはいいんだけど。どっぷり自分のための時間を過ごすお供には向かないかな、と。 淡々と一言でこう思った、とか言われた方がいろいろ行間を読めるから。オプションが付けば付くほど、なんていうかしんどくなる。 こうなんだ、と強制されるのが嫌というわけじゃないんだけど。作家さんの意図以外が入り込む隙のない作品ほど、洗練されてる、というわけじゃないのに、なんだか文学ってこうあるべきだと主張されてるような。思い込みというかある種被害妄想みたいなもんなんですけど。 ただ、詳細に描かれるほど、登場人物がその役を演じてる役者のように見えてくる。役者は好きで演じてるんだから大きなお世話状態かもしれないけれど、作者の思考をトレースして従順に動いているキャラクタが見えてしまうのが嫌なのかも。舞台裏を見せないでくれ、と。 誘導されるのは嫌いじゃないんです。嫌いだったら本は読めないと思うし。
大きく脱線しましたが、今日は以上。 今夜は遅い新年会です。よく分からんけど祝います。では。
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斎藤基栄
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