行動ログ。
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人は掴みどころのない人に対峙すると、困惑する。 どのように接したらいいか分からないからである。 大抵相手の思考パターンや嗜好を考慮して自分のポジションを決めたり話題の振り方を考えたりするわけなんだけれども、掴みどころのない人だと、所謂地雷の在り処が分からない。 まぁ大概そういう人というのは沸点が高い人が多いので、滅多なことでは交流断絶という事態には陥らない。
逆に掴みどころのありすぎる人ではどうだろう。 掴みどころがないという友人もいるが、ある意味分かりやすいときもあると私を評する友人もいる。多分私のことを変わってると表現する友人たちは、ここんとこ(下記)を指してそういってるのだと思う。 是とするものの中に、ピンポイントで例外が発生するのである。 だから当然、「あれ、これってコイツにとってオッケーじゃないの?」という状況が発生する。 ちなみに私の沸点は、基本的には高いと思っているのだけれど。 累積により、多少変動する。…いや、多少じゃないか。
ついでに言うと、一般的に掴みどころのありすぎる人間は、分かりやすい人とか単純などと言われる。あまり正面切って嫌われることはない。というのもこういうタイプを嫌う人は、大抵心の中でのみ毒を吐いているからである。 もひとつついでに言うと、単に子供っぽい人と、わきまえつつも感情を正直に出している人とに分かれる。ちなみに類は友を呼び、型違いは微妙な反発を生む。 前者と後者の違いは、成熟度。社会的に見てどう判断されるか、という意味での。 だから前者が後者になることはほぼない。成長の過程ではないから。
とりあえず。 大人気ないと言われるような行動だけは避けたいと思います。 某先生の作品に、「努力して苦しんだ分だけ報われるべきだなんて、虫がよすぎる」という言葉(うろ覚え)があって、物凄く共感できたことを覚えてます。
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斎藤基栄
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