行動ログ。
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| 2002年07月01日(月) |
『流れ出す』と『覗き込む』 |
裂く、というのはどういう行為か。 さ・く【裂く】(新辞林より) (1)布や紙などを無理に二つに引き離す。「絹を―・く」 (2)動物の腹を刃物で切り開く。「魚を―・く」 (3)親密な関係にある人を無理やり引き離す。「二人の仲を―・く」
分裂は「いくつかに」分かれることで、 裂くは「2つに」分かれること、みたいですね。
裂くと中のものが見える。 これは本当。 でも裂いただけじゃ見えないものもあるはずだし、紙のように薄い物質ならば『向こう』が見えるだけだろう。 裂いて中身を認識するには、裂く前の状態において中身がそれなりにいっぱい詰まっていることが必要条件であるかもしれないなと思った。そして私にとって裂くという行為は中身を取り出す行為ではなく、中を覗き込む行為であるのだとも思った。 やっぱり自分からアピールするよりは、受容する方が慣れているのかなと思ってみたり。たぶん容量にまだまだ余裕があるというか、できるだけ中身を貯めないようにする癖がついているから、溢れ出すまでには至らないのだろう。
そして「裂く」という言葉に対して発した「もったいない」 どういう思考回路からこの単語が導き出されたのだろう。 裂くという行為を自らの内面を外部に晒す機会を設ける行動だと仮定するならば、自己の内面を他人に見せることへの躊躇いが「もったいない」という言葉に繋がったのではないかと思われる。 これまでに取り繕ってきた『ジブン』という枠から逸脱することへの躊躇、なのかもしれない。変化を嫌う?安定志向? 多分他人の目に触れることで、内側までも準拠集団に左右された『容』となってしまうことが嫌なのだと思う。外側は結構『ワタシ』という『形』をこれまでに創り上げてきたと思っているので。 せめて『形』の中にいる自分たちだけはあるがままの姿を保っていきたいというのが一番。
中身の容量がいっぱいになったら、また状況は変わっていくだろう。今のところ、外に滲み出すほどには持ってないと思っている。さて、どうなることやら。
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斎藤基栄
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