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面会 2007年10月30日(火)
産後8日の身で外出なんてもってのほかだろうけど、いても立ってもいられず、今日はえりたんを母に託して夫と共にゆうたんのお見舞いへ行った。

面会時間は15時〜18時半で、付き添い入院不可。
しかも、6人部屋なのに、入院しているのはゆうたん一人だけ。
昨日4歳になったばかりの子には、過酷過ぎる環境だ。

行ってみると眠っている・・・。
口には酸素マスク、右手の甲には点滴の針、左手の中指には酸素飽和度を計る導線がテーピングされている。
何本ものチューブをあちこちからぶら下げている姿は見ているだけで痛々しい。
呼吸もやはり荒い。

看護士によると、酸素飽和度が眠っているときはまだ低く、酸素3リットルの吸入が必要とのこと。起きているときは2リットルまで下げられるらしい。酸素吸入、気管支拡張剤の点滴をはずせるようになるまでは退院できない。大体10〜12日間の入院が必要とのこと。

既に2時間以上眠っているとのことだったので起こしてみると、意外と普通の反応。すごく喜ぶというほどでもなく、泣き出すわけでもなく、平常運転な感じだ。

持ってきた絵本や折り紙で遊び、5時半に夕食。点滴の針でお箸も持てないので、夫が一口一口食べさせてあげた。

が、最後の薬をスポイトであげたところそれがまずかったらしく、嘔吐・・・。

ベッドごと取替えになってしまった。

そんなバタバタの末、面会時間は無情に終わり、夫とゆうたんはバイバイできたようだが、私は目の潤んでいるゆうたんにバイバイできず・・・。

ついつい抱き寄せて「よく頑張ったね」なんて声をかけてしまったものだから、ゆうたんもきっと今まで耐えに耐えてきたのが耐え切れなくなったのだろう、号泣し始めてしまった。

「行かないで行かないで」なんて泣きながら連呼されて、私も号泣。傍で看護士さんは「お母さん、ぱぱっとさよならしてください」なんて言うが、入院初日にそんなこと出来る親がどこにいるんだろうか。

「赤ちゃんにおっぱいあげなきゃ行けないから、ママは帰らないといけないの。おっぱいあげなきゃ、赤ちゃんが死んじゃうんだよ」と言ったら、ようやく私の腕を強く握っていたゆうたんの手が緩み、涙・涙の別れとなったのだった。

あの場で私も抱き寄せたりせず、「じゃ、またくるね!」なんてカラッと言えればこんな湿っぽい別れ方にならずに済んだのかもしれない。

でも、柵に囲まれた殺風景なベッドの上で一人残されるゆうたんを抱かずには帰れなかった。

帰りの車では夫も私も涙・涙で言葉にならなかった。

正直、「自分の子供が病気で入院する」というのは私の人生においてまったくの予想外の出来事で、かなり想定外だ。しかもまさかそれが産後1週間で起こるとは誰が予想するだろうか。自分の退院直後に息子が入院するなんて、ありえない。

ゆうたんは以前から気管支が弱く、風邪を引くとすぐに気管支がやられてしまう傾向にあったので、喉が鳴り出したら即病院へ連れて行ってはいましたが、まさかここまでになるとは思ってもいなかった。

今回もひゅーひゅー喉が鳴り出して、すぐに近所の夜間救急の小児科へ連れて行ったところ、病院で発作が始まり、点滴・二次救急病院の手配・入院とスムーズにできたのが不幸中の幸いだった。

そして私もお産が非常に軽かったため、こうして産後1週間の体でもかろうじてお見舞いにいけるだけの体力があることと、えりたんが非常によく寝てくれる育てやすい子(今のところ)のため、生後8日でも母に預けられるということは本当にラッキーだった。もし会陰切開していたら、到底お見舞いなんて無理だっただろう。

いろんなラッキーが重なり、入院のタイミングもこれより遅ければ重度の喘息になっていただろうということで、ベストタイミングだった(by医者)ようですが、それでもあまりにもかわいそう過ぎて、思い出すだけで泣けてjくる。

よりによって、お産で私が入院し、ゆうたんにママのいない生活を頑張ってもらった直後に、今度はゆうたんの入院でまたママと離れることになってしまったのが辛い。どこまでゆうたんは頑張らないといけないのか。

ゆうたんより重篤な病気で長期入院を余儀なくされている4歳児は、きっと世間にはたくさんいるだろう。そしてそういう子に比べれば、ゆうたんの症状なんて治る見込みがあるだけまだ希望があり、幸せなことかもしれない。比較するようなことではないし、重い軽いの違いはあっても親の苦しみや子の苦しみは同種のものだろうけれど。

そう自分に言い聞かせて、泣くまい、嘆くまいと活を入れようと思うけれど、やっぱりそうもいかず、涙が止まらない。


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