独白2
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2007年01月21日(日) 冬は恋の季節なのかな

最近の自分を見ていると、たぶん私は恋をしているのかもしれないと、判断する
一般的に言う恋とはどんなものか、よくわかりはしないが、きっと私の今の状態を言うと、人は私に「恋をしているのね」というと思う

大多数がいうのであればそれは紛れも無く恋というものなのかもしれない
が、その対象、その方向性とも言うものがなんとも曖昧で、雲をつかむようなものである


簡単に言えば一人の人に思いを馳せているとういうのが現在の状況です
人は恋をして、相手に思いを募らせるといいますが、私の場合もそれに該当するのかはよくわかりません
ただいえることといえば

私は相手に対し、どのように接すれば私に興味を抱いてくれるかという事を考えています
私は相手はどのように世界を捉え、また世界に対しどのように折り合いをつけているかを必死に考えています

もし相手が私に近い思考を持っているのであればそれは容易であるし、また、近い思考を持っているのであれば私が惹かれるのもうなずけます
私は自分を嫌悪すると同時に、自分に似たものに惹かれている
愛憎は表裏一体とはよく言ったものであるが、私の中では本当に、正と負、どちらも同じであるのだと思う
だから私に似たものを求め、私は私を嫌悪し、私に似た私と同じような部分を求め、同時に殺意を抱く
そのような物を欲しているわけです

恋をしているというのは
現段階ではまだはっきりとは判断がつけられてはいないのですが、もし、相手が私の求めるような人であったら
こういう思考、嗜好、志向
しこうを持っているのなら、私は私の中のプライドと、信念に折り合いをつけ、言い訳をして求めてみようと思うからです

そのためにも、いかに自分に興味を引かせ、いかに自分の求めるように動いてくれるかという事を常に考えてしまう
どうすれば近づいていけるのかどうかと考える
けれども、きっと私は相手が自分の求めるしこうを持っていないのならばその場で興味の対象からはずしてしまうのだろうと思う
こういう事が、愛情、恋慕の終わりとして一般的にいう醒めてしまうということなのだと思う

だから私は今恋をしている
私には、私に似たしこうをもち、私が大切にしたいと同時に、殺したいと思うほど
それほどの執着を見せるような相手が欲しいです
恋と執着の差は良くわかりませんね
私の感情はむしろ恋というよりは執着といったほうが適切だと、思います


その期待を持っていられる相手が、今いるわけです


誰にも言わず、この恋がうまくいったのならば、5年前に終わってしまったものが、また得られるかもしれないという期待
なくしてしまった粘着質なドロドロとした執着心
それに伴う感情の揺れ
感情の揺れに伴う鋭敏さ

普段私は感情が抑えられないということはあまり無いのです

それを得た時の陶酔感、苦痛と共に訪れるその陶酔感というのは、酸欠の脳内のようでとても魅力的に感じます
感情に振り回されて、自分のやっていることしか見えなくなる
そんな瞬間
瞬間をそのままに、終わらせたい


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