世の中には『幸せ恐怖症』にかかっている人たちがいる。 口や文章では「幸せになりたい」と言っているけれども。 結局は不幸を欲している人たち。
幸せになりたいと吐いているだけで本当は欲しちゃいない。 そういう人ほど『自分のための幸せ』を欲しているのだと、思う。
どの状態を幸せと言うのか、個人それぞれ違うだろう。 たとえ宝石や金を身につけて幸せとある輩が言おうが、 他人から見ればそんな当たり前のことと思われようが、 幸せのボーダーはそれぞれ違うものだ。 一概には言い切れぬ。 博愛主義者になれとも、思わぬ。
『幸せ恐怖症』 某本でも書かれているが、私はアレは信じていないのであしからず。 母親が娘に対して呪いをかけて娘は幸せを回避してしまうのです、か、、。
自分の母親は呪いをかけていたんだろうか。 そんな呪いをかけられていたとしても、断ち切ってやる。
マイナスやネガティヴになっていたら幸せはやってこない。 プラスやポジティヴにならなきゃね。 諦めようと絶望の波がおしよせていようと、前を向いていきたい。
ネットを浮遊していたらある詩が載っていた。 幸せになりたくないとか書いてあった。 締めの言葉が「不幸な負け犬」とか書いてあって。 負けとか勝ちとか決め付けるんじゃない。
これじゃ自らの手から幸せを逃がしてないか? そこらへんに案外、幸せってころがってるんじゃないか?
勝手に私が憤っても仕方ないんだけれど、、。
そう思った。
出かけようと思った日、晴れてるだけで幸せ!って思えてしまう。
安っぽいといわれてもいいじゃない。
これが、このごろようやくわかってきたこと。
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